年賀状と人生
疲れていた。
仕事は立て込んでない。
私生活で何かあったわけでもない。
何かしないと…と思うのに体が重くて動かない。かなりの時間布団にいる。
諸々の不安から、ぬるく転職活動をしていた。
就活は今まで何回かしたことがあるが、いつも前回の手順や大変さを忘れた頃にするので、こんな感じだったなということをやり始めて思い出した。
まず条件のあう応募先を探すのが難しい。
やっとあって応募してもバンバン落ちる。
かといって本腰を入れてやってたわけでもないので、そりゃそうだよなあ…くらいの気分にしかならない。
一つ、上手くいきそうな応募先があり、仲介をしてくれている担当者の人と選考について話していた。
運良く状況が転がることもあるんだと嬉しく思っていたが、改めて話を聞いたら就業後広範囲での移動を伴う研修があるという話をされた。
去年までの自分なら何とも思わなかっただろう。研修をしっかりしてくれるなんて有難いし、仕事のついでに遠方に転々と行けるのは得をした気分になる。
それでも、今だ。
今それをやる会社に勤めるということ。
私にはできなかった。
その話が終わって、なんだかスイッチが切れてしまった。
今の職場に少なからず不安と不満があるから動こうとしている。
それは転職の度にそうだった。
今より少し良くなりたいと毎回思っている。
しかし、働いている限りそこにはそこの窮屈さがあるのだ。
当たり前のことだと言えばそうだ。わかっていたはずだ。
でも、それが今は耐えられない。
もう仕事なんてできない。私は働けない。
それでも、食べていくには働くしかない。
もう嫌だな。
かといって死にたいというのも違う気がしたし、心を病んでいる状態かというとそこまでではないと感じた。
ただ現実から逃げたい。投げ出したい。
とにかく嫌で、ふて寝を続けた。
なんでこんなに眠いのかもわからない。
年賀状でも書こうかな。
ふと、それだけは思った。
去年届いた分を元に書こうと、去年の年賀状を探す。
友達からの年賀状は数年分をまとめて引き出しに入れていた。
去年のものだけピックアップするつもりが、つい数年分を見返してしまう。
去年はありがとう、今年もよろしくね。
あなたのおかげで楽しい一年だったよ。
今年も沢山遊ぼうね。
なかなか会えないけど今年は会おうね!
いつもありがとう。
労いと感謝とささやかな願い。
年賀状には晴れやかな思いばかりが書かれる。
新しい一年をただ喜ばしく受け止めている。
数が少ないのもあるが、何年かに渡ってやりとりの続いてる友達がほとんどだ。
こんなに長い付き合いになっていたんだと気付かされる。
渦中は大変だと思いながら過ごしても、過ぎれば過去は過去で、どんどん忘れていく。
時々、生まれてから今の時点にワープしてきて、急に現在にいるような気になって、今まで膨大な時間があったのに何もしてこなかった・できなかったと思ってしまう。
私は私で、頑張って一年一年を重ねてきたのだ。
年賀状を見ていたら思い出した。
それを一緒に見てきた友達がいる。
年賀状の束を眺めていたら泣けてきた。
年賀状で泣く日がくるとは思わなかった。
もう送ることはない友達もいる。
いつの間にか書かなくなった。連絡も取らなくなって久しい。
それでもその時は友達だった。
親しみを込めて書かれた言葉。年賀状だからそんなに長々書かれてはいない。だが、その時私たちは確かに繋がっていたとわかるには十分な言葉。
嘘じゃなかった、と思った。
もう幻のようになってしまった存在は幻なんかじゃなく、確かにその時、私の人生に体温をもって存在していた。
私には歴史がある。歴史のなかに沢山の人がいる。