都会敗北
都会に敗北しがちな人生だなと思った。
半年前くらいに出て来た都会での暮らしは、もう無理な気がしている。
敗北したと思っている。
私はこの街に負けたのだ。
この感覚を以前も味わった。
数年前に住んでいた違う街で。
そこも都会だった。
街に負けるってなんなんだろう。
仕事が嫌になってやめて引っ越したり、地元での暮らしが合わなくて出て来たり、そんなことも複数回あったが、負けたと感じたのはその前回と今回で二回だけだ。
「住みこなす」なんて言葉は無い気がするが、住みこなせなかったっていうのが気持ちとしてはしっくりくる。
戻りたい。
半年前に住んでいた地方都市に戻りたい。
私は心底あの街を気に入っていた。
住めば都とは言う。
今まで何ヵ所か転々と住み、どこも半年暮らせばそれなりに住み良いものだった。
でも、あの街に暮らして、私はそこを離れたくないと心から思った。
そこまで強く思ったのは初めてだった。
運命の人なんて信じてないけれど、私にとってあの街は運命の街だったかもしれない。
選ぶとか認めるとか、そういうことじゃない。
これ以外がないというのが、運命なんだ。
都会は、遊び場も食べる場所も行こうと思えば24時間いくらでもある。
安いものから高いものまで、選択肢は無限にすら見える。
仕事帰りにアイドルのリリースイベントに駆けつける、みたいなこともできる。
凄いことだと思う。
だが、そういう簡単に手に入るあらゆる娯楽が、この街にいることで荒んでいく気持ちをどうにかごまかすための、気休めの点滴のようなものに感じてきている。
夜、なんとなくぶらぶらと歩いていたら栄えている駅前通りに着いて、あまりの明るさに驚いた。
昼間と全く変わらない光、何の疑問もなくひたすらごった返す人々。
何が光源なのかもわからない。看板なのか、街灯なのか、信号機なのか、建物の窓から漏れる蛍光灯なのか。
それら全部が混ざったのか。
間違っている気がした。
鈍感になっていく。
鈍感にならないと暮らせない。
情報量が多い。
いちいち立ち止まってはきりがなく、頭がうるさくなりすぎる。
満員電車に乗っているのは、人ではなくて乗客で、ありえないくらい近い距離でくっついても平気な顔をしなければならない。
あとこれは単なる悪口だが、
街で悪臭がする確率が高すぎる。
今まで住んだ場所で、ここまで日常的に街で悪臭を感知することはなかったと思う。
家が臭い部屋が臭い、はわかる。仕切られた空間に匂いがこもるということは理解できる。
なんで街が臭いなんてことがあるんだ!?
毎回凄く腹が立つ。
仕切られてないじゃん!
なんでだ。
悪いことばかりではなかった。
友達も近くに住んでいてよく遊べるし、人は思いの外適度に優しかった。
恐ろしいことは何も起きていない。
ただ愛せない。
ここにいることを好きになれない。
通勤で長時間乗る混んでいる電車とか、日常的にうける舌打ちとか、臭い街とか。
そういうものによって体が疲れて、家に帰っても何もできない。
私はここで、自分のことを愛せる暮らしを手に入れられなかったのだ。
まだ半年だとも思うが、おそらくこのまま私は私の好きな自分を手放していくのだろう。
それこそが、敗北なのだ。
自分が好きな自分を諦めてしまうこと。
帰ろう。運命の街へ帰ろう。
そのために今は、じっとする。
じっと忍ぶ。
季節もそろそろ冬になる。
川底でじっと冬眠する動物のイメージで、私もそうしようと思う。