歯が痛いんだよと叫びたい
歯が痛い。
今、歯医者に走る電車の中でこの文章を書いている。
歯が凄く痛い。
治療が済んだばかりの歯だ。
完璧に治したと言われた。
それでも、今朝は痛みで目が覚めた。
痛い。
痛み止めを飲みながら、騙し騙し午前を過ごした。
でも、痛い。堪らなく痛い。
我慢ならず、歯医者へ電話をかけた。
「とても痛いのですが、このままにして良いものでしょうか?」
努めて冷静に話そうとした。
しかし、電話口の方ののんびりとした口調による「様子を見て下さい」という言葉にどうしても我慢ならず、
「凄く痛いんです!本当に大丈夫なんでしょうか!」
と訴えてしまった。
いまいち伝わってなさそうではあったが、一応診てもらえることにはなった。
申し訳ないと思いつつもほっとする。
当たり前だが、私の痛みを主張し説明できる人間は私しかいないんだと気付かされた。
プロだからって、黙って診てもらえば全て完璧に言い当ててくれるなんて間違いだと思う。
私の痛みを少しでもわかるように話さなければ、誰もわかってはくれない。
最近、そんなことを急に思った瞬間があった。
特にきっかけがあったわけじゃなかったが、職場のトイレでハッと思ったのだ。
私の痛みや苦しみを完全に理解できる人間はこの世に自分以外いないということ。
それを他ならぬ私が無視しがちで、よく袋小路にはまる。
無視してはならなかったのだ。
その痛みの理解者は私しかおらず、痛いんです!助けてください!と叫べるのは私しかいない。
主張しなければ、誰も気付けない。それは私だけが感じる痛みだからだ。
わかってもらえなくてもいい。私の痛みのためにどう行動するかということが問題なのだ。