許せない人をどう始末するかの顛末
許さないと決めている人がいる。
許さないし、許せない。
もう何年も会っていない。私の人生にその人が登場していた期間は1年半ほどだ。
この人を、どう消化するべきかというのが、私の複数ある人生の課題の一つだった。
そして、ふと気付いた。
私はもうこの人のことを頭の中で完全に始末できている。
ここまでくるのに、相当の時間を費やした。
かといって、その人のことばかりを毎日考えて生きてきたわけでもない。
考えるべきことは毎日色々ある。同時進行で色々なことを日々ぐるぐると考えている。
もうほぼ考えなくなった、と気がついた。
月並みだが、時間の経過が解決した面が大きい。
その人とまだ交流のある知人から、今はその人がそれなりに充実した暮らしを送っていると聞いたことも、一つのきっかけだったかもしれない。
それを聞いて、憎らしいとは思わなかった。
今のその人がどうなっていようが関係ないと思った。
私は、当時のその人だけを憎んでいる。
当時のその人を生涯許さないと思っている。
今のその人が、幸せだったとして、それがぶっ壊れてしまえとは全く思わない。
不思議だ。
でも、それが私の素直な気持ちだった。
過去になったのだと思った。
完全に、過去の住人としてその人を閉じ込め、私の記憶の中で許さないこと。
許さない箱の中に閉じ込めたまま、生々しく憎しみの鮮度を保ち続ける。
許さない。
決して許さない。
その時深く傷付いた私のことを、無かったことにしたくないという強い気持ちがある。
全てを忘れてしまえば、楽になれると思った時期がある。
考えないようにして、許したふりをして、受け入れて、曖昧にしていれば、きっともう苦しくなくなるはずだ。
許したふりも、続けていれば、本当に許したことになるかもしれない。
いや、そんなのしたくないわ。
傷付いたことを持ち続けること、それはしんどいことだ。
自分が傷付けられたということを認めたくもなかった。
なんで、そんな奴に私が傷付けられなければならなかったのか。
認めなければ、傷付いたことはなかったことにできる。
でも、傷付いていたのだ。間違いなく。
それを知ってるのは、私だけ。
見ていたのも私だけ。
許さない。
そう決めて痛みを認めた時、こんなどす黒い感情を持ち続けることの重さに耐えられるのだろうかと思っていた。
だが、違う。
私は始末することに成功した。
許さないという気持ちはそのままに。
その人を過去のものとして、葬りさることに。
今後、その人が幸福になることを、憎らしいとも思わない。
私の人生に、二度と登場しないのだ。
もし、今のその人が当時の行いを謝罪してきたとしても、私はその謝罪をわりとすんなり受け取るだろう。
受け取った上で、無駄なことをと唾棄するだろう。
今のその人の謝罪なんて、記憶の箱の中には届かないのだ。
箱の中には当時のその人だけがいる。
私が生涯許さないその人がいる。
復讐とは、当該の辛い出来事を忘れて幸せになることで果たせる、と何かの物語のセリフで見た気がするが、これは私なりの報復なのだろう。
忘れることはないが、過去のものとして真空パックする。
その人の幸せすらも、どうでもいい。
どす黒い箱の重さに苦しむことももう無い。
これから私が発する言葉、抱く気持ち、過ごす時間、そのどれもに、その人の存在や出来事が影を落とすことはない。
落とすことはできない。
本人の知らぬところで、その人の過去の一部が、もう会わない他人(私)の中で、憎悪の鮮度を保ったまま、宇宙空間を漂い続ける。
それを取り返す術はもうないのだ。
許すチャンスすら一ミリもなくなる。許せないまま葬るのだから。
さようなら、許せない人よ。
私の人生に、二度と踏み込ませることはない。