ニラのことで悩める時間
晴れて仕事を失った。
円満退職を目指したが、結局円満だったのかはわからない。
許せない人間もいるし、わだかまりの残った人もいる。
だが、とにかく終わった。
次の仕事は決まっていない。
でも、とりあえず終わったのだ。
謎の体調不良が止んで、会社に行かなくなってまだ数日なのに、急に元気になった。
やることもないので、漫然と過ごす。
食事だけが1日のうちで少しは規則正しく組んだスケジュールとなる。
食べ終わった瞬間に次の食事はどうしようか考えている。
それくらいしか今は考えることがない。
今日の夕飯は水菜のパスタだった。
水菜は余ったので他の余り野菜とともに鍋にし、明日から2~3食かけて食べよう。
そう思った矢先、冷蔵庫にニラがあったことを思い出す。
ニラは私にとってスター野菜なので、できれば単品で主菜にしたい。
ニラ玉や炒め物で。
どのタイミングに挟もう?
真剣に悩む。
とりあえずまだ鮮度は大丈夫そうなので、明日は見送り鍋だけ食べようか。
こんなことが悩みのトップトレンドになっていることが、嬉しい。
次の仕事をどうするか等考えるべきことはあるが、今はこれでいいと思う。
数年前も私は職を失っている。
その時も思ったが、仕事を辞めたところで、ただ仕事が無くなるだけなのだ。
仕事にアイデンティティーを見出だしていたり、
人生を見出だしていたりする人にとっては、「ただ」じゃないかもしれない。
でも私はそうじゃないので、「なんだこんなもんか」と拍子抜けしたし、今もしている。
仕事を辞めたいです、と話すと会社の人たちは一大事のように止めにかかってきた。
今回は特に大変で、話し合いは難航した。
彼らのリアクションから、
お金を盗みました人を殴りました、みたいな告白でもしてしまったのかと錯覚するくらいに、
重大でネガティブで取り返しのつかないことをしようとしているんだろうか?
と思った。
しかし、そんなことはない。
ずっと会社で生きてきた彼らにとっては、そこから外れることは、死ぬことに限りなく近づくことだったのかもしれない。
それはそれで、彼らの考え方だ。
私は私の方針で生きていい。
もう脅かされて、いちいち不安がらなくていい。
数年前無職の時は、本当に疲れていて、私にはもう野垂れ死にしかないんだなと思っていた。
だが幸運なことに、野垂れ死ななかった。
ここ3ヶ月くらいも精神的に参っていて、もうダメだと感じていた。
どこへももう行けないし、生きてなんていけない。
そんなことはない!
一つの呪いなのかなと思う。
ここでダメなら同じことの繰り返しだよ
もうその年齢でそんな甘え考えでどうするの
やめないなら昇格も考えてあげるよ
全部本当に言われた。
クソだぜ!と今ならわかる。
それでも、それにしがみつけない私の方が社会人としておかしいのだろうか。
そんなことも思って震えた。
もういい。
もういいんだ。
君のためを思って言ってるんだ、というような言葉。
それが完全な嘘だとは思わない。
でも、その善意(のような形をした何か)をふいにすることに罪悪感を抱くのはやめだ。
私は私の人生を生きる。
まずは明日の食事を考えることから。
私を縛っていたしょうもない沢山の悩みよ。
今解きましょう。
ニラをどこに挟もうか?