ぽんぽこ
平成狸合戦ぽんぽこを観ていた。
後半に、タヌキの住む森へテレビのレポーター達がやってくる場面がある。
(タヌキたちが人間に仕掛けた大がかりな化かしを、あれは自分たちがやったものだとテレビ局へ手紙を出したためレポーター達は来た。)
レポーターは、まろやかな口調でタヌキへ呼び掛けた。
タヌキさーんいませんかー?
またあの凄いやつ見せてくださいよー。
見せてくれないと視聴者の皆さん信じてくれませんよー。
あなたたちの方からあれは自分の仕業だって言ったのに無責任じゃないですかー?
うろ覚えだが、だいたいこんなセリフだった。
その口調や内容が、ここ数年私が他人にされた振る舞いに似ていて、急に話が真に迫り、苦しく泣けてきた。
私はタヌキだったのか。
そういう内容の映画ではない(と思う)。
だが、このレポーターのくだりを皮切りに、終盤のシーンは、タヌキたちが自分のことのように思えて仕方なかった。
人間に化ける技術のないタヌキが死を選び、踊りながら船に乗っていく。
力を出しきったものの、人間には敵わなかったと死んでいくタヌキ。
人間に化け人間として生きることを選んだタヌキの疲弊。
ただ、愛した場所を守りたかっただけなのに。
やり方は間違っていた。
それでももしかしたら、という希望をかけて。
タヌキたちが命がけでやった化かしを、人間たちは半笑いで、娯楽として消費した。
そんなことが、私にもあった。
人間にとっては、そこに命がかかっていたなんて、知るよしもない。
終盤に、長らく山を不在にしていたタヌキが戻ってくるシーンがある。
不在にしていたたった三年で、山がすっかり変わり果てたことに、タヌキが寝そべって泣いた。
私もそこで、一緒になって声を震わせながら泣いた。
何にもならなかった。
大きな力がなぎ倒し変えていくことを止めるには、あまりに小さな力。
あれほどやっても、犠牲が出ても。
人間の視界に、タヌキたちは入ってすらいない。
タヌキたちは最後の力を振り絞り、彼らが愛していた山の風景を再現する。
あくまで、気分転換だという軽やかで明るい調子で。
それが何にもならなくても。
人間を倒すための化かしでなく、
彼らのための、彼らが見たいものを。
でもそれは幻で、当たり前だがすぐ消えてしまう。
彼らはそれまでの暮らしと、愛した場所と決別する。
だが彼らに悲愴感はない。
どうにか生き延びて、適応できなければ死んでいく。
その残酷でシンプルなサイクルを彼らは受け入れた。
何の涙かもわからない。
ただ泣けて仕方なかった。
私も山へ帰って踊りたい。