君の痛みを痛いと思うことはできない
助けてくれ~!
という心境だ。
でも、本当に助けて欲しい人は別に居る。
立て続けに、身の回りにいる人たちに、人生でかなりでかい決断を強いられるような出来事が起きていた。
悲しいこともあった。
だが、いずれも私はその当事者ではなかった。
ただ近いところで、その事象を見ているしかできなかった。
もしかしたら、私は今取り返しのつかないことをしようとしている友人を、
ただ黙って見てるだけになってやしないか?
じゃあ、何ができるの?
何もできない。
驚くほど、自分は何もできない。
何の力も、知恵もない。
ただ脇で不安がるしかできない。
無力が過ぎる。
びっくりした。
それでも、どれほど親しい人でも、
全く同じように痛みを感じてあげることなんてできない。
違国日記という漫画の中に、
私の悲しみは私だけのもので、誰にも分かちあうことはできない。誰も私と同じように悲しくなることはないのだから、といったような旨のセリフがある。
私も、まったくそうだと思う。
私のあらゆる感情は私だけの持ち物だ。
それは他の人も同様だ。
そのこと自体は、救いのようにも思って生きてきた。
ある種の諦めもつく。
どれほど心配しようが、理解しようと試みようが、絶対に人と人が完璧に分かり合うことはない。
だから、それをできなかったからといって、悲しむ必要はない。
そう思って生きてきたのに、
今はそれが悲しくて仕方ない。
あなたの決断を、信じるしかない。
神様なんて信じていなかったのに、
神様めいたものにすがるしかない。
神様、どうかあの子がこの先、深い悲しみに落ちて胸が張り裂けそうな夜なんて過ごしませんように。
こんな、頼りない架空の存在に祈るしかないなんて、どうかしている。
ただ、全てのことはギリギリの紙一重で事なきを得ているだけのようにも思う。
心配するだけ無駄なのだ。
でも、あまりに情けなくて、普通に往来で涙が出て止まらなくなった。
こんな涙は初めてだ。
こんな種類の悲しさや空しさがあるということを知らなかった。
私はずっと、自分勝手に生きていただけなのかもしれない。
自分のことだけを考え、自分の痛みばかりを、痛い痛いと訴えて泣いていただけの人生だったのかもしれない。
あなたを、助けられないことの空しさに苛まれるなんて、
こんな苦しさをずっと知らなかった。
どうしようもない状況というのは、こういうことなのかもしれない。
何ができるのか。何もできないのか。
優しさとはなんなのだろう。
沢山優しくされて生きてきたはずなのに、
いざ自分の番になると足がすくむ。