まだ寝てていいよ

思いついたことをテキトーに

昨日日記4/23

4月23日(木)はれ一瞬雨

 

職場の人に、転職活動どうしてますかー?と軽い気持ちで聞いてしまい、微妙に怒らせてしまった。

一般的に、同じ職場の人間同士が転職の話をしてはいけないらしい。

その人は、わりと何でも喋る人なので、これくらい聞いてもいいだろうと勝手に思い込んでいた。

当たり前だが、それぞれの人にそれぞれの言っていい・言われていい範囲が存在する。

そのラインを踏み間違えないよう気をつけているつもりだが、時々私は大幅に間違う。

 

というか、突然自分の把握してない社会常識みたいなものを振り下ろされ、お前は非常識だ!と切られてしまうことが多い。

そんな常識が存在していたのか、と毎度びびる。

 

何にせよ、思いやりが大事だ。

たとえ非常識だとしても、相手を思いやる気持ちがわずかでもあれば、最低限のラインを踏み間違えずにいられるはずだ。

 

夕飯は豚バラを焼いて塩コショウしただけのものと、茄子を多めの油で焼いただけのものを食べた。

どっちも焼いただけなのに、すごく美味しかった。

豚バラは強い。油を吸わせた茄子も強い。

 

洗濯をしたが、干す気になれず寝てしまった。

 

寝る前になんとなく色々考えていた。

子どもが居る人生を自分は望んでいるのかもしれない、と思った。

ただ何となく変化のない日常に飽きてこんなことを思うだけなのだろうか。

非常事態になり心細いのもあるのかもしれない。

 

昔不倫をしていた人が、子どもができてしまえば相手は自分のほうにくるかもしれないと私にこぼしたことがあった。

手段じゃん、と喉まで出かかった。

そんなつまらないことを言う人じゃなかったので、余計悲しかった。

 

あれは私の、言われたくないラインを越えた発言だった。

消化できずに残っている。

 

でも、じゃあ今の私が子どもを望むことも、形は違えど手段になっていないか?とも思う。

日常を変えるための、一人じゃなくなるための手段。

その反面、エゴじゃない願望なんてあるんだろうか、とも思う。

結局何かを望むことは、自分が嬉しいからそうなって欲しいだけだ。

 

まあ、何はともあれ杞憂だ。

結婚どころか相手もいない。経済的にもそんな余裕はない。

 

信頼のおける男性と円滑に暮らしを共にすることの想像が全然できない。

自分にはできないことだと思う。

でも、なぜか子育ては、結婚よりもイメージができる。不思議な話だ。

子育てに自信があるとかでなく、自分がする行為としてまだ距離感なくイメージができる。

昔から親戚の子どもの面倒を見ることが多かったせいかもしれない。

男性と円滑に暮らせたことはないが、子どもは可愛いということを知っている。

 

終わらないことを前提としている物事や取り返しのつかないものを前にすると裸足で逃げ出したくなる。

だから仕事は辞め続けているし、取り返しのつかない失敗など無い業種を選び続けている。

子育てなんて、その最たるものなのに、それを自分が望んでいることに驚く。

 

 

そうは言っても、来週には気が変わっているかもしれない。

こんな移り気な自分の人生に可愛い赤ん坊を巻き込むのは気の毒なので、今のところは選択できない。