まだ寝てていいよ

思いついたことをテキトーに

転々

 

ずいぶん間が空いてしまった。

色々と起きてはいたので、書こうとしては途中までで止めてしまっていた。

中身がないわりに冗長な文章になってばかりいた。

 

ここ最近の変化を簡潔に書くと、

できなさに苦しんでいた仕事は辞めた。

辞めたというか、辞めさせられた感じだった。

不本意な形で行われたので、どうにも整理がつかずにいた。

 

その後、期間限定の仕事を見つけ一旦その仕事をしている。

去ることが前提で、私も職場もお互い気楽な調子で日々過ごしている。

嫌なことがないわけではないが、格段に気持ちは楽だ。

だが、この暮らしを続けていたらまずいということも感じている。

将来を全く見据えていない雇用だ。

元々雇用条件として何年も続けることはできないが、経済的にも、所謂キャリアプランなどにおいても、何年も続けることは難しい。

 

じゃあ何がやりたいのか?

ということをよく聞かれる。

それがわからない。ずっとわからない。

こうなる前から、ずっとだ。

でも、みんなそんなにやりたいことをやっているのだろうかとよく思う。

 

私は、自活と貯金ができる収入を得られて、なるべく自分の時間を確保できて、生命身体を脅かされない快適な環境で仕事ができたらいいと思う。

いくら仕事内容が面白くてやりたいものであっても、その辺りが守られていないと結局続けられない。

内容よりもまずそこだ。

 

では、それらが守られていると仮定した上で、やりたいこととは?

それが真っ白だ。もう何年もそんな調子だ。

 

でも意外と仕事が本気で切れるってこともないんだなと思う。

新卒のころは、この会社を辞めたら何もかもお仕舞いなんじゃないかとか、そういうことを考えていた気がする。

意外とどうにかなっている。とりあえず今は。

なっているうちは、あまり自分に負荷をかけるような考え方をするのは、しなくていいのかもしれない。

呑気をしてる間に追い込まれるのだろうか。

 

結局まとまりのない文章になってしまった。

 

前の会社を去る時に、諸々の状況に理不尽さを感じていた。

冷静さを欠いていると自覚していた。

見えなくなっていることもあるだろう。

 

だからきっと時間が経てば、一体会社が何を考えて自分に対してこういう判断を下したのか、上司たちは何を考え何が見えていたのか、わかる日がくるかもしれないと思った。

 

少し時間が経過した今思うのは、会社は本当に何も考えていなかったのではないかということだ。

それに気付いた時結構びっくりした。

そんな調子で経営ってやれるんだ…という驚きと、そんな調子で役員は高給が取れるのかという驚きがあった。

 

社員に恨まれることを恐れなければ、人の人生や仕事に対するプライドをテキトーに扱っても平然としていられる精神さえあれば、何も考えずに会社を経営してもいいみたいだ。

 

いや、いいわけないんだけど。

案外潰れたりはしないみたいだ。

振り返ってみれば形は違えども、今までの職場も大体嘘だろ!?みたいなことはあったし、潰れた職場はおそらくない。

 

そんなもんだ、という話だ。

明らかに道理に反してはいる。そんなことは間違いだ。

それでも、そんなもんだよという顔で、あるある話として社会にたくさん転がっている。

 

では踏まれた我々にできることはなんなのか。

 

適度に忘れて、適度に許さずいることなのかもしれない。

普段はすっかり忘れて懐に忍ばせておき、いざというときに過去の学びとして取り出す。

 

あとは、これから出会うであろう類似の悪意に対して、ノーリアクションで素通りすること。

今浮かぶのはそれくらいだ。

 

これこそ、いずれわかる日がくるのかもしれない。わかる日がくるといいと思う。

数ヶ月前の私を救うために。