n回目の無職
n回目の無職がやってくる。
ほんの数日で。
やってくるって言ったって、自分でそうしたのだから、無職になるといった方が正しい。
もう~なんだろうなあ~!!!
と、フガフガ言いながら転げ回りたい気分がずっと続いている。
しかし、まあ前向きな決断ではある。
このままでは良くないとわかっていたのに、ずっと動けなかった。
自縄自縛の縄を切って、私は新たな選択をした。
それでも、不安は続く。
次の仕事は未定だが、多少忙しくなるような気がする。そういう仕事を絞って探している。
本当に自分にできるのか?そもそも内定はでるのか?また短期間で辞めたらどうしよう。
そもそもお金は大丈夫か?
社会に出てからのここ数年、常にそんな感じだ。
辞めますとさえ言わなきゃずっと続くような仕事をしていた時でも、ずっと続くとはなぜかどうしても思えず、常に不安だった。
もし続くとしても、私はそれを喜べなかった。
喜ぶもなにも、営みの中に仕事はある。
ただ働いてるだけだよ、という人が大半だろう。
そういう自然な受け入れ方もできずにいる。
仕事を辞めないで済む人生ならば良かった。
毎回疲れるし、周りの人に迷惑をかけている。多少寂しさもあるだろうし、無力感も抱かせたかもしれない。
ただ、そうは言えども人も仕事も世間も留まってはいられない。
生きていくために変わり続けなければならない。
「変わり続ける」の発露の仕方はそれぞれだ。
服装や髪型の人もいれば、趣味の人もいる。
恋愛や家庭環境かもしれない。
私は仕事と居住地だった。
そういう人生なのだと思う。
主体的な選択とは別に、性分を受け入れて生きていかなければならない。
私は私と別れることはできない。
ずっと後になって、人の優しさや気遣いに気づいたりする。
もう二度と会うことのない、ほぼ他人のような人の一言に救われたことを不意に思い出す。
感謝を述べることはもうできない。
ならば、せめて私も人に優しくしたい。誠実でありたい。
そうやって、リレーのようにぼんやりとした温かいものを繋いで、皆生きているのかもしれない。
そうならいいなと思う。