煩悩とか寄り道とか
髪を短くした。
心持ちとしては、むこう半年は修行僧のような気持ちでいようと思ってのことだった。
何回も書いてるが、とにかくお金がないので、余計なことに使わないように、修行みたいな半年でいようと思っていた。
数日して、回転寿司に入っていた。
付き合いとかでもなく、一人で。
あと二千円使ったら今月の生活費が回らなくなるという状況で。
無理なんだよなあ。
そんなに美味しくない乾きぎみの寿司をどんどん口に葬りながら、ひとりごちる。
無理なんだよなあ。
今まで、ここまででなくても金銭的に余裕がないときだって、ストイックに節約するなんてできなかった。
こんな自分が貧窮するのも、まあ当然の結果なんだろう。
節約もだが、私はとにかくよそ見が多い。
勉強なども、集中力がろくに続かないので10分やって30分遊ぶような感じだった。
初志、全然貫徹できない。
そのわりにどうにかギリギリセーフを踏んできた人生だったが、
そのツケがとうとう回ってきたのかなとも思っている。
でも、どこかでこの自分の油断の多さを少し愛してもいる。
人間らしいと思う。
死ぬほどよそ見と回り道を繰り返し、
煩悩を優先したとして、
自分が大幅に道を踏み外さないのも知ってる。
まともなレールのなかでまともになれないことを苦しむだけだということを知ってる。
大きな賭けにはでない。
宝くじを買ってみても、一等が300万円とかのを買う。1億じゃなく。
当たった試しないのに。
(200円位はまれに当たる)
努力ができなかった代償としての、
この貧しくも道を踏み外さない現状なら、
納得はいく。
仕事の愚痴を人に話すと、
「真面目なんだよ」
とよく言われる。
真面目だから、そんなことでつまずく。
真面目だから、苦しむ。
でも私の本質は、
集中力のないよそ見だらけの人間で、
そんな人が組織でやっていくには、
必要以上に真面目にやるしかない。
と、ずっとそう思ってやってきた。
だから、どの職場も二年くらいで無理がきて辞めてしまう。
真面目にやったところで、リターンがないこと。
自分の真面目さは欠点を補うための無茶でしかないこと。
ある日急に、些細なきっかけでジェンガが崩れるように、スイッチが切れる。
二年続けただけ偉いじゃんと思うのに、
二年しか続かないなんてやばいのかなとも思う。
自分が自分の友達だったら何て言うだろう。
そんな卑下しなくていいじゃないか。
いくらでも仕事はある。
あなたが元気で笑顔でいることのほうがずっと大切だ。
お金なんてあったところで、不幸せだと思ってるなら意味がないよ。
職場でたとえあなたがどれほど仕事ができなくたって、そんなことであなたの価値は決まらない。
それもそうだ。
全て本当だ。
なのに、いつも気付くと非常に狭い視野のなかで、自分を責めている。
多分、真面目になんてやらなくてもいいんだろう。
どれだけ仕事ができなくたって、居座り続ける度胸さえあれば。
どこに行っても居心地が悪い。
好きじゃない他人と長時間一緒にいられない。
好きになれる他人が少ない。
そんな毎日を小さくぶっ壊すための、浪費なのかもしれない。
どうにでもなってしまえと、小規模な浪費。
今回だと回転寿司。
煩悩もよそ見も、私の声。
それに従って何が悪いのか。
そして私は私が、本当にやばいようなことはしないことを知ってる。
信じている。
それくらい許さないと、
生き延びられなかったようにも思う。
トカゲが尻尾を切って逃げきるような。
私のギリギリの小さな煩悩。
やり直しは可能で、その分遠回りになる。
短くした髪は、もう既にただのショートカットでしかない。
似合ってるので、いいだろう。