近況の心境
また仕事辞めるかもな…という考えが頭をよぎり続けている。
よぎる頻度が高まっている。高まった結果辞める!に移行するのはわかっている。
多分辞めるんだろう。
またか。またなのか。何回辞めれば気が済むんだろう。
今回の退職(仮)は、純粋に仕事ができなくて辞める。
純粋に仕事の能力が足りなくて辞めたことは今までなかった。
だから、どうにも認められずにグダグダしている。
あまり向き不向きというものを考えたことがなかったが、向いていないことは本当にできるようにならないというのは、一つの発見だった。
悔しいというより、情けない気分だ。
もう社会人歴も長くなってきたのに、私はまともに続いた仕事がない。
職種さえ変えなければ、だんだん力はつくだろうが、わりと職種も変えまくってるので、特に何にも秀でていない、いい年の大人になってしまった。
考えるのやめたい、結婚だ! 婚活しよう!
みたいなことを思うが、別に結婚しても仕事のことは解決しない。
『湯神くんには友達がいない』という漫画で「後回しにした問題は形を変えてやってくる何度でも!」というようなセリフがある。よく思い出す。
もし、本当に結婚できて仕事のことを有耶無耶にしたとしても、多分いずれ必ず向き合わなければならないだろう。
なら今向き合った方がいい。
でも向き合いたくない! なぜなら辛いからだ!!!
一年前の転職時、自分に合う仕事を考えて今の仕事に就いた。
今までの経験をふまえ、きっとこれならば!と思った。私は自分を信じたのだ。
慌ててテキトーに下した決断ではなかった。
だからこそ、今の状況を受け入れられずにいる。
あれほどちゃんと判断した(と思っていた)ことが間違いであったこと。
それがどうしても認められない。
でも、認めないかぎり苦しいままだ。立場も悪くなるだろう。
頑張ってもできないことはあるんだと、当たり前のことなのかもしれないが、思った。
努力が報われるわけではないことくらい知っている。
しかし、それは例えば、どれほど外回りに力をいれても売上がいまいち伸びない、みたいなことかと思っていた。
外回りに力を入れることで、能力自体は向上する、と思っていた。
だが、能力自体も向上しないということがあるんだと知った。
私は歌が比較的得意で、曲を聴きまくって、自分の声の出し方を工夫すれば誰でも歌えると昔から思っている。
でも多分、苦手な人からするとなんでそれができるのかわからないのだと思う。
私は運動が苦手だから、速く走れない。練習の仕方やフォームを工夫して、ある程度速くなっても、平均より遅いことには変わりがない。リレーの選手にはなれない。
今の仕事も、続けているうちにできるようになったことは多い。だが、求められる水準に到達できなかった。私はリレーの選手にならなければいけなかった。なれないのに。
できない、役に立たないということが、心を蝕むことも思い出す。
暗い気分で油っこいものをやたら食べてしまう。
もう少ししたら、三回目のワクチンを接種する予定だ。
二回目のとき副反応に苦しんだので、恐らくまた苦しむだろう。
なぜかそのことを楽しみに感じている。
具合が悪いと、何も考えなくて済むからだ。
仕事のことなんて浮かばない。将来のことも、お金のことも。
そういうものから一時的に解放されたい。不健全な考えのような気がする。
だが、必ず回復することを望んでもいる。副反応は最適と言える。
回復することを望んでいるうちは、まだ大丈夫かなとひとまず思う。