痛みが届く時差
昨年春先に無職だった時のことを思い出すと、苦々しい気分になる。
なんでだろう。
その時は、自由の身を喜んでいた。先行きの不安は大きかったが、それ以上に何にも縛られていないことを嬉しく思っていたはずだ。
その時よく聴いていた音楽を耳にしたり、よく食べていたものを食べたりすると、当時の感覚が蘇る。蘇って、苦々しくなる。
自由だったが、苦しかった。
主にお金のなさが辛かった。こんなものに自分の心を左右されていることがつまらなかった。
痛みが届くには時差があるのかもしれない。
その時はそれで幸せだと思っていた。
確かにその感情に嘘はないのに、それでも明確に苦しかったのだ。
別件。
数週間前に知人から、
「あなたに直して欲しいところをまとめるね。まとめたら言うよ。まとまらなかったら言わないかも~」と言われた。
その時は、反射的に胸を突くような嫌悪感を覚えたものの、
「いや~そんなことわざわざしなくても…」
みたいなことを言って有耶無耶に流した。
今日の昼間になって、急にそのことを思い出して、何様だよ!!!?という強い怒りが湧いた。
何の権限があって他人にそんな立場からものを言えるんだ!?
相当仲の良い友人や恋人ならばまだわかるが、そんなことを言われる間柄ではないのである。
そんなことを言われる間柄でない人間に、そんなことを言われた。
言って良いと思われていた。
ふ・ざ・け・ん・な!!
と強めのアクセントをつけて、
一文字ずつ当人のスネなどにぶつけたい。ドラえもんの道具でそんなのがあった気がする。こえかたまり?あれが今すぐ欲しい。
いや、できれば過去に戻って、それを言われた瞬間に道具を使って反撃したい。
怒りはその場で発露させなければ伝わらないことが多い。
怒りが届くのも時差がある。
難儀な話だと思う。
かといって、なんでこんなことで怒ってしまったのだろうという記憶もある。
怒りを覚えた瞬間に、正しく精査し発露させて良しと審判を下してくれる第三者機関が頭の中にあればいいのに。
心の痛みが頭に届いて感情となるまでの時差。
なんとなく、渦のようなイメージが湧く。
渦のようにぐるぐると遠回りをしながら頭の中を漂って、随分時間が経ってから芯の方に流れ着く。
渦中にいるときは、いつも何がなんだかわからない。
むしろ、まともに痛みを感情として認識したら、やってられないから働く防衛反応のような気もする。
捨てられないガラクタに執着し、
ある日急に要らないものだと気付いたり、
ガラクタだと捨ててきたものが、
ある日急に大切なものであったと気付いたり、
本当にずっと後になって、
抱き締めていたものがガラクタであったことを知ったり、
様々だ。
どうにもならないから、私は文章にする。
これで少しでも、痛みたちが成仏してくれたらいいと思う。