混沌うろ覚え記録
新型の肺炎うんぬんとなってからのことをろくに書いてなかったが、実際何が生活のうえで起きたのかということは、後々記録として生きる場合もある。
拙い言葉でも、忘れてしまう前に書いておこう。
私は首都圏在住の会社員だ。
確か、予防しないと!という話題が上るようになったのは2月頭あたりだった気がする。
まだ呑気なムードがあった。
実際、休日には普通に友人と遊んでいた。
友人と入るファミレスも変わらず混んでいた。
それが月末にかけて、どんどん深刻なムードになっていった。
このままではまずいのでは?という空気が高まっていた。
しかし、会社はいつも通り。通勤の電車もいつも通り混んでいた。
外回りの仕事も普通に行っていたし、会社への営業の来訪もいつも通りあった。
アルコール消毒液がどの建物にもよく置かれるようになったな、くらいの変化。
ただ、確か2月末にトイレットペーパーは店頭から消えた。
すぐに補充されるでしょ~と呑気に構えていたが、それから1ヶ月は店頭で見ることはなかった。
2月末に友人たちと早咲きの桜を見に行く予定だったが、二週間延期しようと話した。
「ここ二週間が山場ってニュースでも言ってるし、今は我慢しよう。」
当時、二週間が山場という話がよく出ていた。
私たちは、それをどこか事実のように信じていた。
結局花見は行けていない。
3月に入り、徐々に空気が緩んできたのを感じた。
2月末~3月頭くらいまでで減っていた、街ゆく人々が3月半ばにかけて復活していったように見てとれた。
実際、自分もそのあたりで、もう引きこもってるの無理だなーと飽きていた。
外出自粛とはいえ、旅行や遠出はともかく、いつもの通勤ルート+αのショッピングくらい…といった油断があった。
重症化リスクが高いとされる対象(持病がある、高齢者等)から自分は外れていたため、他人事感は拭えなかった。
職場でも、まあ君たちは感染しても大丈夫だもんね~と年配の方から言われ続けた。
3月上旬、旅行に行くか迷っていた人に、行ってしまえば?と言った。
ライブに行くか迷っていた人に、自分なら行くかも!と言った。
結局旅行は行かなかったし、ライブは中止になったそうだが、今にして思えばなんて無責任な発言をしたんだとゾッとする。
だが、それを許してしまうほど、3月上~中旬は雰囲気が緩んでいたと感じていた。
この時の私のような人間の行動が現状を招いてしまったのだろう。
ガラリと深刻さを増したのは、東京都の外出自粛要請が出た日以降だ。3月25日だったと思う。
都知事が会見をした夜に私は髪を切りに行っていた。
担当の美容師さんはマスクから鼻を出していた。
志村さん心配ですよね~と軽い調子で言われながら、その鼻がしまわれることは無かった。
その翌日・翌翌日、スーパーから保存のききそうな食材が消えた。
その時ほどでないが、品薄状態は今も続いている。
買い占める必要はありません、と知事は語っていたが、
マスクを潤沢に供給します!と言っていた政治家の発言が完全に嘘だったので、
誰も信じていない様子だった。
親子らしき女性と子供二人が、沢山商品の入った大きな買い物袋を両手に持って、大変そうに前を歩いていた。
この人たちが安心して過ごせない世の中に私たちはいるんだと思った。
買い占める必要はないと言っても、もし食べ物に困っても、国は助けてくれないんでしょう?
毎月感情を無にして納めている高い税金は、いつ我々を助けてくれるんだろう。
嘘だろ、みたいな政府の対応策が発表されるたびにズッコケた。
切実な声が聞こえることが増え、ズッコケて済ませることもできなくなった。
人の命が、生活が関わっている。無関係な人間は誰もいないのだ。
4月に入り、通勤電車もどんどんガラガラになっていった。
だが、帰りの電車はいつもそこそこ混んでいる。
出勤時間は多少それぞれ前後させて調整し、オフピークにしても、帰りはだいたい合ってしまうようだ。
電車の窓が開くことを知らなかった。
常に開いた窓から、涼しい風が入って車内の空気は濁らない。
今後事態が終息しても暖冬と春秋はこうしてて欲しいと思った。
緊急事態宣言が出され、どこまでも呑気だった職場も多少の策を講じなければならないといった流れになった。
だが、中小・零細企業はテレワークできる環境自体そう整ってるものでもない。
出社せざるえない状況が自分も、自分の周囲も続いている。
私の仕事は、不要不急の業種にあたるが、企業への十分な補償がない以上、会社も休業を決断してはくれない。
雇用されている以上は、出勤を続けるしかない。
ひとまず早くGWになってほしい。
感染リスクにひたすら怯えながら、通勤だけは繰り返し、あとは家でじっとしていなければならない生活はまいる。
通勤せずにじっとするだけの方がまだ良い。
こんなことになるなんて、誰も思っていなかっただろう。
呑気にしていられる場合ではないし終息のためにできることはやっていくが、
どこかSF映画に迷いこんでしまったような、
現実感の薄さを常に感じる。
夢オチでした、と言われても納得する。