一例としての私
hpvワクチンを接種しようと決めたのは、11月頭のことだった。
夏場に行った婦人科でたまたまワクチンの話になり、今からでも打ったらいいという話をされた。
それ以来数ヶ月迷っていた。
打つ!と決めた決定打は、V6の解散ライブを見たからだと思う。
彼らは今までも、その日のライブでも、ファンが楽しく生きていくことを願ってくれた。
V6に願われちゃ幸せになるしかないよね~
という気分になった。
その一歩としての決断だった。
hpvワクチンは、成人が打つとなると自費だ。
私が打つことにした9価は昨年認可されたばかりの種類で、トータル10万円ほどかかる。
じゅ、10万円…!?
と最初知ったときは驚いた。
何の補助もでない。
これから先、私は誰ともふれあわないかもしれない。(hpvの感染経路は主に性的接触だ)
10万円使って、3回(hpvワクチンは半年で3回打つ)痛い注射を打ち、それが無駄に終わる可能性がある人生。
というかこのままの暮らしをしていればその可能性が大きい。
無理だ、自分にはそんなお金を出すことはできない。
それが夏の自分の結論だった。
常に、何事も無意識の中で諦めのフィルターがかかっている。
お金がないから、頭が悪いから、もてないから、自分にはできないから、自分のような人間には無理だから、といったようなフィルターが。
私がこれからの人生で他人と親密に関わる可能性を考えることは、起きる可能性のごく低い無駄な期待で、諦めておかないといけないことのようにどこかで思っていた。
V6のライブを見終わったときに、そのフィルターが一瞬外れた。
私も結婚するかもしれない!
家族を持つかもしれない!
望みや行動は、ありえないと他人に唾棄されるようなことではない。
そうだ、前向きに生きるために、ワクチンを打とう。
思考の前後の繋がりをうまく説明できないが、そんな風に思った。
私のこれからの人生と身体を肯定するためのワクチンだ。
悩んだ期間のわりに、接種自体は決めればあっという間だった。
在庫を確保していない病院は取り寄せに時間がかかるそうだが、確保してる病院なら前日に予約しても大丈夫だった。
問診やワクチンダイアリーというサイトの登録(住所氏名などを入力する)が必要だったりと、手続きはインフルエンザのワクチンと比べれば多かった。
注射も痛かったが、まあ3秒くらいのものなので、うっ…とうなってるうちに終わる。
打った腕は数時間後から触ると痛んだが、大した不便はない。
接種はあと二回ある。無事終わらせたいところだ。
納得して決めた上に一回打ち終わったのにまだ、本当に良かったのか?とも思ってしまう。
ここまで高額じゃなければなあとどうしても思う。どうにかして欲しい。
ここ数ヶ月情報を調べるなかで、小中高校生の親世代が娘に9価を自費で接種させるか、無料の4価か2価を打たせるか葛藤しているのを見かけた。
4価や2価ももちろん効果は見込めるが、9価のカバー率は90%と言われていて、かなり高い。
こういう葛藤の解決、政府がどうにかしてくれないの…!?とどうしても思った。
自費の接種は、せめて差額の五万円分補助が出たら大分違うのにな。
(2価や4価は自費だと五万円前後だ)
そもそもが後手に回っていた存在でもある。
また接種を推奨していく動きがでてきているそうだが、とにかく希望したら気軽に接種できるようになって欲しい。
女性が対象の医療関連が後回しにされがちなのは、本当にどうにかすべきだと強く思う。