歩く
諸事情で、片道45分の道を徒歩で往復した。
無職で独り者なので、時間は惜しくなかった。
無職で独り者の利点は、時間を無駄遣いしても寛容でいられることかもしれない。
それにしても、暇だった。
歩くだけってのは暇だ。
散歩を時々するけれど、それはだいたい目的地へ行きながらする。
今回は、本当に歩いただけだった。
やりたいこと、やるべきことは沢山あるはずなのに、何もしていない。
きっとこのように、ダラダラと無為に過ごす時間を積み重ねていくうちに、私は老いていくのだろう。
そのことが、若い頃よりも明確に実感として焦燥感をもって迫ってくる。
口では色々とそれらしいことを言うのだけが得意になり、実際は何もしない。
恥ずかしいことだ。
多分私がそんな人間だってことは、どれだけ口で取り繕ってもバレている。
みっともないなあと思う。
道中、桜が咲いていた。
桜の木は故意か事故か、折れていた。
折れて倒れた幹から、枝分かれして綺麗な花が咲いていた。
桜はデリケートな植物だとネットで見たことがある。
だから無闇に触ったり枝を手折るような真似は厳禁だと。
なのに、折れた木から花が。
通行人は誰も気にせず通りすぎていく。
恐らく、日常的にこの道を通る人ばかりなのだろう。
見慣れた光景に、足を止める人はいない。
復路、膝がガクガクと笑い始めた。
日頃ろくに運動してないのだから、急にこんな長距離を歩けばこうなるのは当然だった。
来週から始まる短期のバイトは立ち仕事なので、この身体で果たして勤まるのか不安になった。
なんとなく弱気になっている。
これだけは!みたいな自信のあるものが一つでもあればいいのだろうが、そういうものを今日に至るまで獲得できなかった。
何もしないというタイプの暇な時間が苦手だ。無音も苦手だ。
暇で無音だと、延々この不安感について脳内で喋り続けなければならない。
頭の中がうるさい。
それを制するため、何か単純作業をしつつ動画やテレビを流す。
仕事をしてるときも、手が空くとすぐ脳内は大混戦で喧しい。
だから、ただ歩くという時間は、私にとって苦痛なことが多い。
疲労を引きずりながら、どうにか帰宅。
簡単に夕飯を作って食べた。
今日も何もできなかったな。
知人が、それだけ自分の時間があったらこういうことを自分ならする!と言っていた。
やりたいことが定まってる人は、輝いている。
私は昔から、なんだかんだと決断できず、どうにか決めても、いつまでもよそ見を繰り返してきた。
ここまでくると、こういう風にしかできないんだろうと諦めている。
決めたことをきっちりとやりきる人は格好いいと思う。
私が腹を決めて行動できる日なんて、生きてる間に来るんだろうか。
そうは言っても、これだけの距離を歩いてちゃんと帰ってきただけで、偉いと思う自分もいる。
無事に毎日をこなしてこれたことは、それだけで尊いことだ。
特別な何かがなくても、色々なことができなくても、ただ生き延びてきたこと自体に感動する。
それだけでいいのに。
なんでこんな風にずっと不安なんだろう。