まだ寝てていいよ

思いついたことをテキトーに

でんぶって響きだけで面白いのずるい

 

※以下ビロウな話

 

高校生の頃、臀部まわりに違和感があった。

率直に言って、痔の疑いがあった。

排泄後、「うーん?」と首を傾げる程度の痛みがしばらく続いた。

しかし、病院に行くのは抵抗があった。

まず、当時保険証は母が管理していた。

病院に行くには一度母に申告せねばならない。

「痔の疑いが隠せなくなりましたので、病院に行きます。保険証をください。」

言いたくない。

絶対に言いたくない。

 

結局病院には行かなかった。

小康状態というのか、気にならないコンディションと現状維持の痛みが数日ずつ交互に繰り返された。

悪化していないなら良いだろう、と判断した。

 

しかしある時あきらかに悪化と感じる痛みが臀部を襲った。

その痛みは数日続いた。

とうとう化学に頼らねばならないだろうか。

内心冷や汗をかきながら、平静を装い生活を続けた。

無邪気に楽しそうにしているクラスメイトがうらめしかった。

こっちはただでさえクラス内ヒエラルキー底辺なのに、ケツに爆弾を抱えている。

前世で悪行を働いたとしか思えない。

 

今文字を打って気付いたが、「穴」が「ケツ」とも読めるのは…

 

 

痛みに疲弊し、心身ともに元気を失った私は、友人たちと廊下を歩きながら、

「痔かもしれないんだ。」

と告げた。無意識に近い告白だった。

「そうなんだ。どうしてそう思ったの?」

友人たちは真面目に受け止めてくれた。

「ナニを出したあとの臀部が痛い。」

「うーん、でもそれくらいは誰でもあるよ。」

「痔とは限らないんじゃないかな。」

あれこれ話しているうちに、少し気分が晴れた。

「痔ってどんな風に診察するんだろうね。やっぱ恥ずかしい感じなのかな。」

友人が疑問を口にした。

私は早くからその点については気になり、医学番組などをリサーチしていたので、診察については既に知っていた。

「テレビで観たんだけど、かなり配慮されるみたいだよ。恥ずかしくないようにちゃんと隠してくれるんだって。」

「顔を!?」

「ケツを!!」

 

 

この一連の痔騒動を最近思い出した。

なぜ思い出したかというと、再び痔の疑いがあるからだ。

結局病院には一度も行っていない。

 

隠されるのは、顔でなくケツなのか。

確かめるという建前で、行くのもありかもしれない。

行きたくない。

 

 

私達のロックスター・チャットモンチーが永遠になった日

 

チャットモンチーについて何か書こうとすると胸がいっぱいになる。

それは今だけじゃなく昔からだった。

曲を聴いて素晴らしいと思い、感想を少し書いてみても、全然感情を表せていると思えなかった。

言葉にしきれない。

言葉にしたくない。

そういうバンドだった。

 

私の胸の中だけで、チャットモンチーに対する色んな思いはしまっておこう。真空パックしよう。

そんな風に思っていた。

でも、きっと私は忘れるので、やはり書いておこうと思った。

チャットモンチーを忘れるのではなく、今の私の気持ちを忘れてしまうので、上手く書けなくても書いておきたい。

 

2018年7月4日。

チャットモンチーのラストワンマン、武道館に行った。

同行したのは十数年来の友達。

チケットは、応募できるものほとんどに応募し、やっと取れた注釈付だった。

どうしても行きたかった。

 

開場し、開演まで待つ。

注釈付といっても、ステージに比較的近い席だった。

あと数十分待てばここにチャットモンチーが立つということがなんだか信じられなかった。

 

私が初めてプロのバンドのライブを見たのは、高校生の時だ。

友達に誘われ行ったスピッツのライブだった。

そのオープニングアクトチャットモンチーだった。

たった三人で、こんなに大きな音が出るんだ。

音楽に詳しくなかった私が抱いたのはそんな感想だった気がする。

 

それから気になるようになって、アルバムを聴いて、気付けばファンになっていた。

 

そのライブに誘ってくれたのが、同行の友達だ。

今回は私が誘った。

 

場内が暗くなると、歓声があがった。

チャットモンチーの二人はゆっくりと奈落からせりあがってきた。

左右の通路をぐるりと通って、近くの席に向かって手をふって歩いた。

私達の座る席の近くも通ったので、思わず手を振った。

二人は、とても堂々としていた。凛としていた。貫禄というか、ここの主役は我々であるという自信に溢れているように見えた。

それは、高校生の時見たチャットモンチーには無かった雰囲気で、沢山の時間が流れたのだなあと思い、胸がいっぱいになった。(まだ演奏も始まってないのに)

 

二人が定位置につく。

ブレスの音から、歌が始まった。

一曲めは、たったさっきから3000年までの話。

 

今、えっちゃんが目の前で、あそこで歌っている。歌っている声がする。

えっちゃんの歌声が、会場に染み渡るようだった。波のように、波紋のように、声がこの広い会場を包んだのを感じた。

たったワンフレーズで、涙が出た。

 

私が大好きなチャットモンチーだと思った。

 

それからどんどん演奏は進んだ。

あっ…

おっ……

あっ…

みたいなことを言っている間に、前半が終わってしまった。

 

幕間を挟んで、後半。

こちらも、

えっ…

あっ…

おおっ…

あー…

とか言っている間にあっという間に終わっていってしまった。

アホみたいな感想だが、本当にそんな感じだった。

 

演奏と演奏の間で、二人が話すMCが、あまりにも自然体で、武道館中の人間たちが二人の友達みたいな空気になり、和やかに笑っていた。

暖かかった。

とても優しい空間だった。

 

最後の曲の前に、観客が口々に「ありがとう!」と叫んだ。

私はライブでもめったに声を出さない(出せない)人間だが、今日ばかりは言わないといけないと思って「ありがとう」と叫んだ。

 

チャットモンチーに生かされた瞬間が私の人生には無数にあった。

 

学校に馴染めず、やっとの思いで起床する朝に再生した「女子たちに明日はない」

 

淡い恋のようなものに訳がわからなくなり、うろたえながら再生した「恋の煙」

 

就職のため遠い地へ引っ越すことになり、夜行バスの中で再生した「満月に吠えろ」

 

忙殺され、音楽もあまり聴かなくなっていた頃にたまたま手にした「こころとあたま」

 

夜中の街を呆然と歩きながら再生した「隣の女」

 

挙げられないが、もっとある。

 

チャットモンチーの音楽を聴く瞬間の自分のことを一言で表すとしたら、

うわー!まだ余白あったんだー!

かもしれない。

 

この世の全部をわかった気になって、もうどうにもならねえ、あとはただダラダラ生きるだけかと厭世を決め込んだ私に、稲妻のような光の音楽が鳴る。

 

この世界にはまだ、こんな余白がある。

その余白で私はいくらでも生きていける。

何にでもなれる。

何だってできる。

 

だってチャットモンチーの音楽が、こんなに鳴っている。

 

えっちゃんのギターの音が好きだ。

鳴らした瞬間にえっちゃんのギターとわかる音。

あっこちゃんのベースとドラムと…とにかく鳴らす音全部が好きだ。

勇ましく迷いがなくて、真っ直ぐな音。

そして久美子さんのドラムが好きだった。(今も好きだけど)

叩く一つ一つが気持ち良く響いて、それでいて優しい音。

 

ニューアルバム「誕生」

この中では、「砂鉄」が一番好きだ。

久美子さんの餞の歌詞が本当に素晴らしい。

 

君は君の真似なんてしなくても

最初で最後の君だ

僕は僕の真似なんてしなくても

最初で最後の僕だ

 

初めて聴いた瞬間に、物凄い言葉が書いてあると思った。

心からのアイラブユーだと思う。

きっと今でなければ書かれなかった言葉。

それが、今でなければ作られなかったメロディーと、今でなければされなかった演奏にのって歌われる。

何回も何回も聴いてしまう。

そして、口ずさみながら、自分に向けても言ってみる。

私は私の真似なんてしなくても、最初で最後の私だ。

 

 

チャットモンチーのファンになった、最初の自分の心理状態について最近考えていた。

多分、生まれて初めて「私達に向けて歌われた音楽だ」という感覚を持ったのがチャットモンチーだったのではないかと思う。

 

好きな音楽は色々あったし、今も色々ある。

その「好き」は様々な種類がある。

対岸で鳴っている華やかな音楽を好きだとも思う。

遠い場所で鳴る厳かな音楽も好きだ。

 

でも、チャットモンチーの音楽に対する「好き」は、どの音楽よりも切実な気がする。

自分の一部となり、血肉となっている気がする。

チャットモンチーの音楽について語ることは、気合いが要る。

チャットモンチーを好きだと人に言うのすら、少し覚悟めいた勢いが要る。

私の体の一部を見せるのと同じだから。

 

チャットモンチーのことが好きです。

私を生かした音楽のうちの一つだからです。

私の人生に根付いた音楽の一つだからです。

聴いていると泣きそうになるのに、めちゃくちゃ元気になる不思議な音楽です。

デビューから最新アルバムまで、沢山の変身を遂げています。

それなのに、ずっと全部チャットモンチーの音楽なのが、とても凄いと思います。

変化を恐れずに進み続ける姿は、あまりにもロックンロールでした。

最後のアルバムに「誕生」と名付けたと発表された時、私は心からチャットモンチーのファンで居続けて良かったと思いました。

完結を発表してから、雑誌に載る晴れやかな笑顔の写真。前向きな言葉。

やりつくしたと思えるまで、走り続けたこと。

すべてにありがとうと言いたいです。

これからもずっと聴きます。

 

チャットモンチーは永遠です。

 

 

生きているのが楽しすぎる。

ここ数日の話だ。

アドレナリンか何かが出ているのか、だいたいの時間興奮状態で、寝つくまで異様に時間がかかる。

過去にストレスで寝付けなくなったが、その寝つきの悪さとは全然違う。

 

 

なんで数日でこんなことになったのか。

一番大きな要因は、新たな「推し」ができたので、その情報や活動を追っていて楽しいのがある。

でもそれだけではなく、少しずつ色々なことが重なったからだと思う。

 

私は、十数年前に日テレ系列で放送されていた「すいか」というドラマが大好きだったのだが、その中にこんな台詞があった。

「明日からも生きていたくなるような、何かにはまっていればいいのに」

これはモノローグの語り手・ゆかちゃんからゆかちゃんの母に向けての台詞だった。

ここ数日の自分のテンションの高さに、この台詞が頭をよぎった。

 

私は明日からも生きていたくなるような、何かにはまったみたいだ。

 

星のようだ、と思う。

自分の心の宇宙の中で、爆発やら飛び交う石やらがたまたまぶつかったりして、輝く星が誕生した。

それはとても強く発光している。

 

毎日上手くいかないことばかりで、もうとっくに色々な気持ちが冷めていた。

それでも時折こんな星が私の心の中に生まれて光る。

私はもう少しだけ明日からの自分を信じられるような気持ちになる。

 

星は有限なので、燃え尽きる。

私の心の宇宙の話だから、期限は驚くほど早い時がほとんどだ。

星より宇宙の闇が深くなっても、星は維持できず果ててしまう。

その度にもう二度と星なんて生まれないかもしれないと思う。

 

それでも、また星は生まれて発光した。

 

希望の星だ。

 

 

こないだ見た夢の話

 

古く大きな日本家屋で私は父母と暮らしている。

そこに犬が迷いこんできた。

退屈な日常に突然可愛らしい存在の登場、私たちは喜んで迎え入れた。

 

犬は可愛かった。可愛いだけでなく、強かった。

私は犬を好ましく思い、普段はめったに写真を撮らないのに、思わずスマホで撮った。

 

数日して家に、侵入者があった。

侵入者はあきらかに強盗で、私たちに危害を加える様相だった。

狼狽する我々を横目に、犬はすぐさま侵入者に噛みついた。

犬は強かった。

侵入者は抵抗する間もなく、犬に噛み殺された。

 

侵入者の遺体を前に私たちは、

「まあ、この人は強盗だし、殺したのは犬だから、私たちはほとんど無関係じゃない?」

というような話をした。

 

数時間後どこから通報があったのか、警察が家をたずねてきた。

当然、部屋に転がったままの侵入者の遺体を発見され、何なのか問われる。

私は、この人が強盗であること、犬が噛み殺したことを伝えた。

 

「犬なんていないじゃないですか!」

警察は言った。

 

気づけば犬はこの家からいなくなっていた。

可愛がっていたはずが、気付かないなんて。

自分の鈍感さに驚くが、今はそれどころじゃない。

 

侵入者が強盗であるというのは、あくまで私たちの一方的な証言に過ぎない。

それを証明できるものはない。

このままだと、私たちは家族で人を殺した犯罪者になってしまう。

 

「そうだ、これを見てください。犬は本当にいたんです。」

私はスマホで撮った犬の写真を警察に見せようとした。

だが、どこのフォルダを開いてもその写真がない。

 

警察は「決まりだな」みたいな空気を出してくる。

何も決まってはいない。

 

結局私たちは警察署に連れていかれることになった。

庭は春先で、ちょうど花々が咲き乱れる季節だ。天気も良い。

その美しい春の庭の通路を、警察官に連れられて歩く。

 

私は刑務所で理容師の免許を取る勉強をして、出所したらそれで生計を立てていこうとぼんやり思っていた。

 

___________

久しぶりにインパクトのある夢だった。

目が覚めてからすぐに夢占いを検索しようとした。が、これ何の夢だ!?と手が止まった。

逮捕の夢?

日本家屋の夢?

犬の夢?

理容師の夢?

 

結局そのまま二度寝してうやむやになった。

友人にこの夢の話をしたら、

「夢の中の警察の捜査、ガバガバ過ぎない?」

と、もっともなことを言われた。

 

 

人間に戻りすぎるとつらい

 

人間に戻りすぎるとつらい。

ということを思った。

 

私は普段昼間働いているが、昼休みに人間に戻りすぎると午後からが辛く感じる。

昼食を食べたら、仮眠をとり、午後の作業の準備をして仕事を始めるのが、気持ち的には一番気楽だ。

仮眠という、体のみの休息に時間を使っているからだ。

 

たとえば、好きなWeb漫画を読む、音楽を聞く、読書をする。

そういった行動を挟むと、午後からの仕事が特に辛く感じる。

 

仕事と仕事の間に、自分という人間を挟むと、仕事モードに戻ることに体力を使ってしまうのかもしれない。

 

仕事モードとはなんなのか。

私は仕事中「すみません」「申し訳ありません」「ありがとうございます」「よろしくお願い致します」のほぼ4ワードのみを話す存在になる。

こういうものが目の前にきたら、こういう対処をする。Aがきたら次はB。その流れを正確に、速く行うこと。

 

仕事中の私は、人間じゃないと思う。

職場の人みんなそうだと思う。

 

AがきたらBという答えを素早く出すこと、それが当然であること、痛みを感じないこと、棒読みでもいいから謝罪と感謝を述べること。

 

人間だって、知ってる。

だから、一度戻ってしまうと辛い。

 

 

花の名前を調べない

 

「なんの花が好き?」

何気なく友人が尋ねてきた。

花についてあまり考えたことがなかった。

「桜かな、ソメイヨシノ。」

「へー、なんか意外だな。」

「あなたは?」

友人は、耳慣れない花の名前を口にした。

どんな花なのか聞くと、木に咲く、白い花だと話した。

「学校の近所に咲くよ。今は季節じゃないけど、時期になったら綺麗なんだ。」

 

花が咲く時期になっても、私は見に行かなかった。

学校の近所といったその場所は、近くであってもわざわざ行かないと通らない所だった。

いつでも行ける、今じゃなくてもいいだろう。

そう思っているうちに季節は過ぎ、年数が経ち、卒業すれば学校からも遠くなった。

 

でも、その花の名前は覚えていた。

耳慣れない名前だったけど、覚えやすい字のならびだった。

 

白くて木に咲く美しい花。

 

友人とは卒業を機に離れた場所に住むようになり、会うのも年に何度かになった。

私は友人のことをとても大切に思っていた。

 

就職し、根性なしの自分は大変な思いをすることが日常茶飯事だった。

木に咲く白い花を見つけると、これが彼女の言っていた花ではないかと思った。

 

会うことは減っても時々電話で近況を話した。

どういった流れだったか、その花の話をした。

「木に咲く白い花を見ると、あなたが言っていた花かな?と思う。結局まだ正解は知らない。」

彼女がなんと答えたかはよく覚えてないけど、そっかと簡単な返事をされた気がする。

 

検索すれば簡単に出てくる。

そんなことはわかっている。

 

数年経ち、彼女とはもう昔のようには会ったり話したりできないかもしれないと思うようになった。

お互い変わってしまった。

人が変わるのは当たり前で、それでも続く友人関係の方が多い。

なのに、もう続けられないと思ったのは、恐らく私が彼女を大切だと思いすぎたせいかもしれない。

私が大切だと思って信じた姿は、もういない。

そう感じた瞬間に、気持ちが冷めていった。

彼女も同じように思ったのかもしれない。

上滑りするような会話に、もう昔の温度はなくなった。

 

それでも、木に咲く白い花を見ると、この花かな?と思う。

いっそ検索してしまおうと思ったけれど、なんとなくできずにいる。

 

 

四角い光が流れていく

勤めていた店からは、駅が見えた。上りと下りの電車が10分おきに行き交っている。
閉店後の店内は電気を落としていて、薄暗い。
静まり返った店内で、営業中に終わらなかったちまちまとした作業を片付けた。
大きな窓ガラスから見える電車。
乗客の顔は見えない。
もうすぐ日付も変わる頃の疲労を乗せて、あの電車は光っているんだと思った。

作業を終えて、家へ帰る。
途中コンビニに寄る。味のはっきりした肉が食べたくて、フランクフルトを買うことが多かった。
付属のケチャップとマスタードを全部かけて歩きながらかじった。
頭上を電車が走っていく。架橋の下は轟音なので、まぎれて歌ったりした。

その頃私の住んでいた部屋は足の踏み場もないほど散らかっていた。脱いだ服と食べたもののゴミで床は見えなくなっていた。無事なのはベッドの上だけで、ご飯はそこで食べた。
飲んで空になったペットボトルはベッドの下に投げる。
弁当の空も投げる。
常に室内の空気が淀む。
少しおかしくなってきているのかもしれない。
そう思っても掃除をする気は起きなかった。

眠りの浅い日が続いた。
寝入ることができない。息が苦しい。心臓の音がうるさい。

帰宅途中のコンビニでアルコールを買うことが増えた。それを家まで我慢しきれず飲んでしまうことが増えた。
人通りのなくなった路上で、酔っ払って笑いながら歩いた。
電車だけが光りながらまた頭の上を横切っていく。
終電間近の電車に、人影はいつもあまりなかったが、0の夜もなかった。
あの人たちよりは疲れていない。
そんなことを考えていた気がする。

寝入ることができず、朝がきてから仮眠をとる日が増えた。
4時を過ぎると鳥が鳴き始める。
朝日が部屋に差し込んでくる。
人の気配のしない早朝は、眠ることから取り残された私にも優しいような気がした。
考えることにも疲れてやっとまぶたが重くなる。
始発なのか点検なのか、電車の音が聞こえだす頃に眠りに落ちた。

心臓の音が一段とうるさい夜だった。
背中まで振動していた。
息も苦しい。
早くから何かの病気かと恐れて駆け込んだ病院では、健康ですよと言われた。
健康なのに、こんな音を出すのだろうか。

一睡もできず、朝を待って着替えて家を飛び出した。通勤ラッシュの頃に当たり、駅へ向かう人たちが早足で急いでいた。

何かが終わってしまうと思って、ずっと言えなかった。
「まともに眠れないんです。会社に提出するので、診断書を出してください。」
病院の先生に症状を話す。寝不足のせいか、いつになくハイで、こんなにハキハキと自分は話せたのかとびっくりするほど明るく喋った。
一通り私の話を聞いた先生は、
「会社辞めたらいいんじゃない」
とあっさり言った。

気持ちが落ち着くからと出された薬をカバンにつっこんで、その足で職場に向かった。
言えなくなってしまうのではないかと思ったが、もう辞めさせてくださいと思いの外すらりと言えた。



不思議なほどに先々の不安はなかった。
やっと終われるんだという安堵が先にあった。

帰宅し薬を早速飲んで、ベッドにねそべった。
いつぶりかに心臓は静かで、苦しさのない呼吸ができた。
開けた窓から電車が走っていく音が聞こえた。

混線したかのようにうるさかった頭の中が静かになった。
凪いだ海のような体が、ゆっくりと眠りに落ちていく。
これが私にとっての睡眠だったということを思い出す。

もう私は、この眠りを手放さなくていいんだ。

次にどこへ行っても、何をしても、もうこの眠りを手放さなくていい。
それだけははっきりと思った。



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