引越エトセトラ
仕事が決まり、都会へ引っ越すことになった。
引っ越す度に思うが、引越の大変さは半端じゃない。
大抵急に決まって、短期間で引っ越してきた人生だから余計大変なんだとは思う。
まず、あらゆる場所への電話地獄。
フリーダイアルは財布事情的にありがたいが、オペレーターに繋がるまでの時間の長さたるや。
それを数こなしているだけで1日終わる。
そして引越業者を探す。
引っ越しまで間がない場合は、引き受けてくれる業者を探すこと自体が難しかったりする。
繁忙期でもなく、そこまで荷物も多くないのに、マジかよって見積を飲むしかない場合もある。
以前は某黒い哺乳類宅配業者の引越サービスを利用していた。(知る限り一番安かった)
が、今は引越サービスを停止していた。
これは本当に痛手だった。
メインイベント・荷造り。
大変さは説明不要。
そんなこんなで、毎回荷物運び出し~搬入の辺りは体力的にも精神的にもギリギリの状態になる。
二度と!引っ越すまい!!
終わる度に強く決意している。
なのに、これでもう何回目の移動だろう。
新しい部屋での暮らしにはまだ慣れないが、愛していかなければならない。
自分の荷物を置いて、住みやすくしていくうちに少しずつ愛着は湧いてきた。
だが、今日。
過去の写真を見ていたら、前の自宅の室内の写真が目に入った。
入居時に、状態確認のため撮ったものだ。
引っ越した今は、もう要らない。
でも、その写真を見たとたん、切ないような気持ちで泣けてきた。
私はあの部屋を愛していた。
あの部屋での自分の暮らしを愛していた。
大抵散らかっていて、掃除も怠ってばかりだった。
もっと綺麗に住んであげられなくてごめん。
でも、あの場所での生活を、愛していた。
仕事はサッパリだった。
人間関係も拗れまくって、何も楽しくなかった。
もう二度と前の職場のことは思い出したくない。
でも、あの家のことは覚えていたいと思う。
あそこで、私は自分が仕事のために生きてるわけでない存在だということを思い出した。
お湯を沸かしてお茶を飲んで、好きなアニメを流して寝転ぶ時間。
ラジオを流しながら、洗濯物をバランスよく干せた時の、自分だけの達成感。
日付が変わるころ、どうにか米だけ朝に炊き上がるようセットして、さあやっと寝られるぞと安堵する瞬間。
大して美味しくはないけど、自分しか作れない自分のためだけの料理。
それまで、私にとって家とは、ただ休息をとる場所に過ぎなかった。
荒れ果てた部屋には度々虫も湧いた。異臭で不快になった。
そんな場所では休めないだろうと今は思うが、当時は全部どうでも良かった。
外で働く時間のために、自分の体はひとつの装置に過ぎなかった。
装置のメンテナンスに、そう時間をかけてはいられない。
眠れればそれでいい。ご飯はコンビニか外食で調達すればいい。飲み物なんて、自販機で買えばいい。
こないだまで住んでいた、あの部屋での私は、働くための装置でなく、私のための私だった。
あそこでの暮らしは、生活だった。
もう、装置にはならない。
生活をしていきたい。
新しい部屋のことも、立ち去るときには、愛していたよと言えたらいい。
そんな暮らしを、これからしていけたら。
不安と緊張が続く。新しい場所で。
ここを私の家にしたい。