お前の言葉は届かない
なんだか気が滅入っている。
私は極端に説明が下手だ。
説明どころか日常会話レベルの意志疎通すら、よく失敗する。
私にとって言葉は、他人には通じないものとなり久しい。
それでも一部の友人や、家族には通じていた。
なのでその通じる人との間で、通じないストレスを抱くことはほとんどなかった。
それが、通じないかもしれないと最近はっきりと思うようになった。
そう思う出来事が重なった。
ひとつひとつはとても些細なものだった。
恐らく、私は怠慢を働いた。
この人たちにはどんな言葉を雑に吐いても、全て伝わるから、だからいいだろう。
でも、伝わらないときはどんな人にも伝わらない。
伝わるように話さないと、どんな人にも伝わらないのだ。
それがすごく淋しい。
あんなに、わかってくれた人にすら、私は他人にするような、説明に説明を重ねたような言葉を使わなければならないのか。
こんなの、私のわがままだと思う。
大の大人が抱くには子どもすぎる。
それでも、どうしてだ!と思う。
どうして、私の言葉はこんなに伝わらないのか。
仕事をしていると、通じないことが常で、通じることの方が稀だ。
だからひたすら、わかるようにわかるようにと頭のなかで沢山のシミュレーションを重ねる。
それでもいつも伝わらない。
何を言っているんだろう?という顔をされる。
それはいつものことだから、私はまた1つずつ言葉を重ねていく。
途中で遮られ、わかったわかったとうんざりされる。
そして、結局間違ったことをされたりする。
伝わってなかった。
今度こそ。
そして言葉はまたガチガチに構築されていく。
簡単なやりとりで済むはずのことに、そんな沢山の言葉は蛇足となり、余計に伝わらなくなっていく。
また伝わらなかった。
これがきっとずっと続く。
チリのように、うっすらとした失望が積もり続ける。毎日繰り返せば、それは明確な失望になる。
私の言葉は、機能しない。
まあいい、本当に大切な人たちにさえ通じれば、私はどうにかやっていける。
ある出来事について、あなたなら、きっとわかってくれるはずだと、相手を信じて手紙を書いた。
先月のことだ。
長年の友人だった。
とても大切な人だった。
長らく会ってはいない。少しずつ話すことが噛み合わなくなってきたとは思っていた。
返事はきた。
返事がきただけ御の字かもしれない。
それでもあまりに何も伝わっていないような内容に、とてもがっかりしてしまった。
あなたにまで、通じないのか。
そこが皮切りで、それまで通じていた人との言葉のコミュニケーションが上手くいかなくなっていると気付いた。
いや、言葉というか、言葉に乗せた感情を受け取ってもらえなくなった。
全部、全員ではない。
ずっと昔から変わらず同じ調子でわかってくれる友人もいる。
本当にありがたいと思う。
でもだからこそ、そうでなくなってしまった人と、一体どこでそうなったのかわからない。
私が見過ごし続けただけなのか。
私の言葉は、そんなに無力なのか。
私の言葉が、なかったことにされる。
それは、私の伝えようとした気持ちがなかったことになることだ。
これできっとあなたになら伝わるだろう、と言ったことが伝わらない。
私があなたを信じたことが、なかったことになる。
言葉を無にされるのが、どうしてこんなに堪えるのか。
これが自作の詩や物語なら別にいいのだ。
私の中のことを、他人に必ずしもわかるように書かないから。
伝わらなくてもいいし、好みじゃなくてもいい。間違った解釈をされても構わない。
でも、人に向けて使った言葉は違う。
あなたに向けて、あなたに通じるように、無数の言葉から選んで並べた。
そこを無下にされたら、傷つく。
そうだ、私は傷ついたのだ。
自分勝手だろう、でも傷ついた。
私の気持ちをなかったことになんてしないでほしい。
だが、きっとこれは諦めなければならないことなんだとわかる。
もしこれを人に話したとして、こんな気持ちをいちいち抱いていたら、周りの人たちは、私の言葉を履き違える度に、私の逆鱗に触れたのでは?とギスギスするだろう。
私に必要なのは、誰にでもわかるように話すことを怠けないことだ。
それを淋しいと思わなくなること。
そして、数少ないすぐわかってくれる人のことを大切にすること。
今はまだ元気は出ないが、元気になったら少しずつこの淋しさを手放したい。
私の言葉はどうせ通じない。
早く諦めて、その次のターンへ行こう。