私達のロックスター・チャットモンチーが永遠になった日
チャットモンチーについて何か書こうとすると胸がいっぱいになる。
それは今だけじゃなく昔からだった。
曲を聴いて素晴らしいと思い、感想を少し書いてみても、全然感情を表せていると思えなかった。
言葉にしきれない。
言葉にしたくない。
そういうバンドだった。
私の胸の中だけで、チャットモンチーに対する色んな思いはしまっておこう。真空パックしよう。
そんな風に思っていた。
でも、きっと私は忘れるので、やはり書いておこうと思った。
チャットモンチーを忘れるのではなく、今の私の気持ちを忘れてしまうので、上手く書けなくても書いておきたい。
2018年7月4日。
チャットモンチーのラストワンマン、武道館に行った。
同行したのは十数年来の友達。
チケットは、応募できるものほとんどに応募し、やっと取れた注釈付だった。
どうしても行きたかった。
開場し、開演まで待つ。
注釈付といっても、ステージに比較的近い席だった。
あと数十分待てばここにチャットモンチーが立つということがなんだか信じられなかった。
私が初めてプロのバンドのライブを見たのは、高校生の時だ。
友達に誘われ行ったスピッツのライブだった。
たった三人で、こんなに大きな音が出るんだ。
音楽に詳しくなかった私が抱いたのはそんな感想だった気がする。
それから気になるようになって、アルバムを聴いて、気付けばファンになっていた。
そのライブに誘ってくれたのが、同行の友達だ。
今回は私が誘った。
場内が暗くなると、歓声があがった。
チャットモンチーの二人はゆっくりと奈落からせりあがってきた。
左右の通路をぐるりと通って、近くの席に向かって手をふって歩いた。
私達の座る席の近くも通ったので、思わず手を振った。
二人は、とても堂々としていた。凛としていた。貫禄というか、ここの主役は我々であるという自信に溢れているように見えた。
それは、高校生の時見たチャットモンチーには無かった雰囲気で、沢山の時間が流れたのだなあと思い、胸がいっぱいになった。(まだ演奏も始まってないのに)
二人が定位置につく。
ブレスの音から、歌が始まった。
一曲めは、たったさっきから3000年までの話。
今、えっちゃんが目の前で、あそこで歌っている。歌っている声がする。
えっちゃんの歌声が、会場に染み渡るようだった。波のように、波紋のように、声がこの広い会場を包んだのを感じた。
たったワンフレーズで、涙が出た。
私が大好きなチャットモンチーだと思った。
それからどんどん演奏は進んだ。
あっ…
おっ……
あっ…
みたいなことを言っている間に、前半が終わってしまった。
幕間を挟んで、後半。
こちらも、
えっ…
あっ…
おおっ…
あー…
とか言っている間にあっという間に終わっていってしまった。
アホみたいな感想だが、本当にそんな感じだった。
演奏と演奏の間で、二人が話すMCが、あまりにも自然体で、武道館中の人間たちが二人の友達みたいな空気になり、和やかに笑っていた。
暖かかった。
とても優しい空間だった。
最後の曲の前に、観客が口々に「ありがとう!」と叫んだ。
私はライブでもめったに声を出さない(出せない)人間だが、今日ばかりは言わないといけないと思って「ありがとう」と叫んだ。
チャットモンチーに生かされた瞬間が私の人生には無数にあった。
学校に馴染めず、やっとの思いで起床する朝に再生した「女子たちに明日はない」
淡い恋のようなものに訳がわからなくなり、うろたえながら再生した「恋の煙」
就職のため遠い地へ引っ越すことになり、夜行バスの中で再生した「満月に吠えろ」
忙殺され、音楽もあまり聴かなくなっていた頃にたまたま手にした「こころとあたま」
夜中の街を呆然と歩きながら再生した「隣の女」
挙げられないが、もっとある。
チャットモンチーの音楽を聴く瞬間の自分のことを一言で表すとしたら、
うわー!まだ余白あったんだー!
かもしれない。
この世の全部をわかった気になって、もうどうにもならねえ、あとはただダラダラ生きるだけかと厭世を決め込んだ私に、稲妻のような光の音楽が鳴る。
この世界にはまだ、こんな余白がある。
その余白で私はいくらでも生きていける。
何にでもなれる。
何だってできる。
だってチャットモンチーの音楽が、こんなに鳴っている。
えっちゃんのギターの音が好きだ。
鳴らした瞬間にえっちゃんのギターとわかる音。
あっこちゃんのベースとドラムと…とにかく鳴らす音全部が好きだ。
勇ましく迷いがなくて、真っ直ぐな音。
そして久美子さんのドラムが好きだった。(今も好きだけど)
叩く一つ一つが気持ち良く響いて、それでいて優しい音。
ニューアルバム「誕生」
この中では、「砂鉄」が一番好きだ。
久美子さんの餞の歌詞が本当に素晴らしい。
君は君の真似なんてしなくても
最初で最後の君だ
僕は僕の真似なんてしなくても
最初で最後の僕だ
初めて聴いた瞬間に、物凄い言葉が書いてあると思った。
心からのアイラブユーだと思う。
きっと今でなければ書かれなかった言葉。
それが、今でなければ作られなかったメロディーと、今でなければされなかった演奏にのって歌われる。
何回も何回も聴いてしまう。
そして、口ずさみながら、自分に向けても言ってみる。
私は私の真似なんてしなくても、最初で最後の私だ。
チャットモンチーのファンになった、最初の自分の心理状態について最近考えていた。
多分、生まれて初めて「私達に向けて歌われた音楽だ」という感覚を持ったのがチャットモンチーだったのではないかと思う。
好きな音楽は色々あったし、今も色々ある。
その「好き」は様々な種類がある。
対岸で鳴っている華やかな音楽を好きだとも思う。
遠い場所で鳴る厳かな音楽も好きだ。
でも、チャットモンチーの音楽に対する「好き」は、どの音楽よりも切実な気がする。
自分の一部となり、血肉となっている気がする。
チャットモンチーの音楽について語ることは、気合いが要る。
チャットモンチーを好きだと人に言うのすら、少し覚悟めいた勢いが要る。
私の体の一部を見せるのと同じだから。
チャットモンチーのことが好きです。
私を生かした音楽のうちの一つだからです。
私の人生に根付いた音楽の一つだからです。
聴いていると泣きそうになるのに、めちゃくちゃ元気になる不思議な音楽です。
デビューから最新アルバムまで、沢山の変身を遂げています。
それなのに、ずっと全部チャットモンチーの音楽なのが、とても凄いと思います。
変化を恐れずに進み続ける姿は、あまりにもロックンロールでした。
最後のアルバムに「誕生」と名付けたと発表された時、私は心からチャットモンチーのファンで居続けて良かったと思いました。
完結を発表してから、雑誌に載る晴れやかな笑顔の写真。前向きな言葉。
やりつくしたと思えるまで、走り続けたこと。
すべてにありがとうと言いたいです。
これからもずっと聴きます。
チャットモンチーは永遠です。