まだ寝てていいよ

思いついたことをテキトーに

人間に戻りすぎるとつらい

 

人間に戻りすぎるとつらい。

ということを思った。

 

私は普段昼間働いているが、昼休みに人間に戻りすぎると午後からが辛く感じる。

昼食を食べたら、仮眠をとり、午後の作業の準備をして仕事を始めるのが、気持ち的には一番気楽だ。

仮眠という、体のみの休息に時間を使っているからだ。

 

たとえば、好きなWeb漫画を読む、音楽を聞く、読書をする。

そういった行動を挟むと、午後からの仕事が特に辛く感じる。

 

仕事と仕事の間に、自分という人間を挟むと、仕事モードに戻ることに体力を使ってしまうのかもしれない。

 

仕事モードとはなんなのか。

私は仕事中「すみません」「申し訳ありません」「ありがとうございます」「よろしくお願い致します」のほぼ4ワードのみを話す存在になる。

こういうものが目の前にきたら、こういう対処をする。Aがきたら次はB。その流れを正確に、速く行うこと。

 

仕事中の私は、人間じゃないと思う。

職場の人みんなそうだと思う。

 

AがきたらBという答えを素早く出すこと、それが当然であること、痛みを感じないこと、棒読みでもいいから謝罪と感謝を述べること。

 

人間だって、知ってる。

だから、一度戻ってしまうと辛い。

 

 

花の名前を調べない

 

「なんの花が好き?」

何気なく友人が尋ねてきた。

花についてあまり考えたことがなかった。

「桜かな、ソメイヨシノ。」

「へー、なんか意外だな。」

「あなたは?」

友人は、耳慣れない花の名前を口にした。

どんな花なのか聞くと、木に咲く、白い花だと話した。

「学校の近所に咲くよ。今は季節じゃないけど、時期になったら綺麗なんだ。」

 

花が咲く時期になっても、私は見に行かなかった。

学校の近所といったその場所は、近くであってもわざわざ行かないと通らない所だった。

いつでも行ける、今じゃなくてもいいだろう。

そう思っているうちに季節は過ぎ、年数が経ち、卒業すれば学校からも遠くなった。

 

でも、その花の名前は覚えていた。

耳慣れない名前だったけど、覚えやすい字のならびだった。

 

白くて木に咲く美しい花。

 

友人とは卒業を機に離れた場所に住むようになり、会うのも年に何度かになった。

私は友人のことをとても大切に思っていた。

 

就職し、根性なしの自分は大変な思いをすることが日常茶飯事だった。

木に咲く白い花を見つけると、これが彼女の言っていた花ではないかと思った。

 

会うことは減っても時々電話で近況を話した。

どういった流れだったか、その花の話をした。

「木に咲く白い花を見ると、あなたが言っていた花かな?と思う。結局まだ正解は知らない。」

彼女がなんと答えたかはよく覚えてないけど、そっかと簡単な返事をされた気がする。

 

検索すれば簡単に出てくる。

そんなことはわかっている。

 

数年経ち、彼女とはもう昔のようには会ったり話したりできないかもしれないと思うようになった。

お互い変わってしまった。

人が変わるのは当たり前で、それでも続く友人関係の方が多い。

なのに、もう続けられないと思ったのは、恐らく私が彼女を大切だと思いすぎたせいかもしれない。

私が大切だと思って信じた姿は、もういない。

そう感じた瞬間に、気持ちが冷めていった。

彼女も同じように思ったのかもしれない。

上滑りするような会話に、もう昔の温度はなくなった。

 

それでも、木に咲く白い花を見ると、この花かな?と思う。

いっそ検索してしまおうと思ったけれど、なんとなくできずにいる。

 

 

四角い光が流れていく

勤めていた店からは、駅が見えた。上りと下りの電車が10分おきに行き交っている。
閉店後の店内は電気を落としていて、薄暗い。
静まり返った店内で、営業中に終わらなかったちまちまとした作業を片付けた。
大きな窓ガラスから見える電車。
乗客の顔は見えない。
もうすぐ日付も変わる頃の疲労を乗せて、あの電車は光っているんだと思った。

作業を終えて、家へ帰る。
途中コンビニに寄る。味のはっきりした肉が食べたくて、フランクフルトを買うことが多かった。
付属のケチャップとマスタードを全部かけて歩きながらかじった。
頭上を電車が走っていく。架橋の下は轟音なので、まぎれて歌ったりした。

その頃私の住んでいた部屋は足の踏み場もないほど散らかっていた。脱いだ服と食べたもののゴミで床は見えなくなっていた。無事なのはベッドの上だけで、ご飯はそこで食べた。
飲んで空になったペットボトルはベッドの下に投げる。
弁当の空も投げる。
常に室内の空気が淀む。
少しおかしくなってきているのかもしれない。
そう思っても掃除をする気は起きなかった。

眠りの浅い日が続いた。
寝入ることができない。息が苦しい。心臓の音がうるさい。

帰宅途中のコンビニでアルコールを買うことが増えた。それを家まで我慢しきれず飲んでしまうことが増えた。
人通りのなくなった路上で、酔っ払って笑いながら歩いた。
電車だけが光りながらまた頭の上を横切っていく。
終電間近の電車に、人影はいつもあまりなかったが、0の夜もなかった。
あの人たちよりは疲れていない。
そんなことを考えていた気がする。

寝入ることができず、朝がきてから仮眠をとる日が増えた。
4時を過ぎると鳥が鳴き始める。
朝日が部屋に差し込んでくる。
人の気配のしない早朝は、眠ることから取り残された私にも優しいような気がした。
考えることにも疲れてやっとまぶたが重くなる。
始発なのか点検なのか、電車の音が聞こえだす頃に眠りに落ちた。

心臓の音が一段とうるさい夜だった。
背中まで振動していた。
息も苦しい。
早くから何かの病気かと恐れて駆け込んだ病院では、健康ですよと言われた。
健康なのに、こんな音を出すのだろうか。

一睡もできず、朝を待って着替えて家を飛び出した。通勤ラッシュの頃に当たり、駅へ向かう人たちが早足で急いでいた。

何かが終わってしまうと思って、ずっと言えなかった。
「まともに眠れないんです。会社に提出するので、診断書を出してください。」
病院の先生に症状を話す。寝不足のせいか、いつになくハイで、こんなにハキハキと自分は話せたのかとびっくりするほど明るく喋った。
一通り私の話を聞いた先生は、
「会社辞めたらいいんじゃない」
とあっさり言った。

気持ちが落ち着くからと出された薬をカバンにつっこんで、その足で職場に向かった。
言えなくなってしまうのではないかと思ったが、もう辞めさせてくださいと思いの外すらりと言えた。



不思議なほどに先々の不安はなかった。
やっと終われるんだという安堵が先にあった。

帰宅し薬を早速飲んで、ベッドにねそべった。
いつぶりかに心臓は静かで、苦しさのない呼吸ができた。
開けた窓から電車が走っていく音が聞こえた。

混線したかのようにうるさかった頭の中が静かになった。
凪いだ海のような体が、ゆっくりと眠りに落ちていく。
これが私にとっての睡眠だったということを思い出す。

もう私は、この眠りを手放さなくていいんだ。

次にどこへ行っても、何をしても、もうこの眠りを手放さなくていい。
それだけははっきりと思った。



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がんばれと言い続けたキティちゃん

 

もう駄目だという局面は日常的に度々ある。本当に元気がないときはただ寝込むだけだが、余力のあるときは声に出して「がんばれ!」と独り言で気合いをいれる(主に自宅にて)

 

無意識的に言うと「がんばれがんばれ!チャッチャララ~チャッチャララ~」と言ってることが多い。今日は言いながら我にかえり、チャッチャララ~ってなんだ?と改めて思い出そうとした。

 

小二のときクリスマスプレゼントでキティちゃんの目覚まし時計をもらった。

キティちゃんは毎日休まずに私を起こした。

「ハロー!私キティ。早くお目めをあけて、一緒に遊びましょ!」

これをまず第一声として二回繰り返す。

その後大きなラッパの音とともに「がんばれがんばれ!」と繰り返す。がんばれの後に鳴っていたのがチャッチャララ~というラッパ音だった。

これは目覚まし時計を止めるまで鳴り続ける。

自己紹介の第一声では起きれないことがほとんどだった。何千回と聴いた「がんばれがんばれ!チャッチャララ~」が刷り込みのように残っているのだ。

 

私を励ました回数だけで言えばぶっちぎりの第一位がキティちゃんで、恐らくそれは破られることがない。

私は死ぬまで、がんばれがんばれ !チャッチャララ~チャッチャラ~と自分に言い続けるだろう。

 

サンリオ総選挙で毎年キティちゃんを応援せざるえないのは、頂いた励ましによる不可抗力だ。

幸福な記憶

 

レンジであたためて目にのせると良い、みたいなアイテムを貰ったことを思い出して使ってみた。名前がわからない。アイピローだったかな。

 

なかなか良いけれど、布団in即入眠の人間ではないので、効果がきれたらいつも通りの状態で眠らないとならないのが不満だ。(持続10分)

 

その点使い捨てのホットアイマスクは眠気を感じたら袋から取り出せば良いので、入眠しながら使用したい私のような人間にはその方がいいのかもしれない。

 

ホカホカのアイピローをのせていたら、子どもの頃風邪をひくと母が熱々の蒸しタオルで顔を拭いてくれたことを思い出した。

マメな母はレンジで作るなどはせず、都度お湯を沸かしてつくってくれていた。

これから二度と私はあそこまで熱心で丁寧な看病に安心して甘えるようなことはないのだろうなとふと思った。

 

いつもより随分と優しい声で母が私に体調を問い、顔を拭いて、布団をかけ直す。かけ直したあとで、布団がしっかり身体にくっつくように体重をかけてグッと押してくれた。その重さが嬉しく、安心した。

 

幸福な記憶だと思う。

アイピローの効果がきれる。ひえた塊となったアイピローを退ける。

私は幸福な子どもだった。そんなことを思った。

 

昨夜見た夢の話

昨夜見た夢。

 

スピッ○の草○さんが、スーパーでフィギュアスケートをしていた。

スーパーにあるスケートリンクとかではなく、普通に商品の並んでいる通路を滑っていた。

終わってレジに座ってる草○さんが、寒そうにしていたので私はブランケットを貸した。

その後私はすぐスーパーを後にしたが、草○さんと草○さんのお母さんが追いかけてきた。もう寒くはなさそうな様子だった。

お母さんは草○さんにそっくりだった。

二人は私のブランケットをなぜか貰う気らしく、替わりにハンカチをプレゼントしようとしてくれた。

受け取ろうとしたところで目が覚めた。

 

 

私はスピッ○のファンで、フィギュアスケートも好きでよく観る。

好きだから夢に見たと思われる。

しかしよくわからないのが、スーパーでスケートというところ。

さらに妙なのは、私は過去にスーパーでスケートを自分がする夢を2回くらい見ている。

 

同じようなシチュエーションの夢を何度も見るというのはよく聞く話だと思う。

なんでスーパーでスケートなのだろう。

どうせなら普通にスケートリンクで滑りたいし、滑ってる人を見たい。

 

もしかして同じような人がいるのでは…と思い検索したが、ヒットはなかった。

 

深層心理で、スーパーで美しく暴れまわりたいとでも思っているのだろうか。

 

 

眠りという娯楽

 

赤子の頃からとにかく眠る子だったそうだ。

大人になった今もよく寝ている。

休日は昼に起き、昼食を食べたらまた眠る。夜に起き、夕食を食べたら眠る。起きて入浴(ときに省略する)し、就寝だ。

仕事のある日は日中は起きている。睡魔に襲われる日もあるが、大体は普通に働けている。

眠りは私にとって娯楽だ。休日も本当はここまで眠らなくても大丈夫だ。

しかし娯楽なので繰り返してしまう。

 

そんな眠りライフに暗雲たちこめている。

部屋が寒い。

この家で迎える冬は初めてだ。暖房をつけても布団が暖まらない。

浅い眠りの日が続いている。寝ても寒さで身を固くしているせいか何度も目が覚める。

 

私から娯楽を奪わないでくれ、冬。

 

とりあえず客用の掛け布団をかけて(掛け布団二枚状態)様子を見ている。

明日は湯タンポを買いにいく。