まだ寝てていいよ

思いついたことをテキトーに

秋だ

数日前、玄関のドアを開けた瞬間にキンモクセイの香りが飛び込んできた。

秋だ。

 

数週間、毎日が楽しみで寝つきが異常に悪かった。

だが身体は軽かった。

眠らなくても元気だと思った。

 

だが、秋だ。

秋の到来と共に私の身体は平時の状態を取り戻したらしい。

眠らないと身体はだるい。夜に眠気もちゃんとくる。

 

一つ前の記事で、推しへの気持ち・応援スタンスへの戸惑いを書き連ねた。

それもこの秋の到来とともに、穏やかなものになった。

今まで通り好きなことには変わらないが、本人に迷惑をかける可能性を感じるほどの熱烈な感情はない。

 

 

飲み物を、冷たいものから温かいものに変えた。

温かい飲み物は、飲むと胃に落ちてそこからじわりと身体を暖かくする。

 

夏は、漠然と焦る。

何かをしなければならないような、追い立てられる気持ちになる。

暑さと、晴ればかりな気候。

謎の無敵感みたいなものが湧いてきて、やたらに活動したりする。

 

夏を手に入れなければならない。

私だけの夏を。

今年こそ手に入れなければならない。

 

そして夏は終わる。

大抵何も手に入らないまま、夏は終わる。

 

秋は突然始まる。

夏の終わりを引き摺った私の時間が、キンモクセイの香りでぶった切られる。

 

ここからはもう、秋です。

 

秋は、どことなく孤独だ。

寂寥感というものなのか。

だが、それは嫌なものじゃない。

馴染みのある、私だけの孤独と自由がある。

何かに急き立てられることもない。

私だけの秋を、毎年ちゃんと手にしている気がする。

もうすぐ寒さに葉を散らす木が、静かに染まっていく。

夏場に見られる勢いはない。

淡々と日を浴び、そこにある。

 

さあ、眠ろう。

血湧き肉躍るばかりが、楽しいということではない。

君に出会った人生を、私が肯定し続ける

 

最近好きになった推しは若手の役者さんで、その舞台が先日あったので観に行った。

その日から色々と調子がおかしくなってしまったことを友人に話したら、一度文章にしてみたらいいと言われた。

ので、文章にしようと思う。

レポとかではなく、自分本位の所感や自分語りです。まとまりは特にない。

 

私には今まで複数のジャンルで、実在する推しが何人か居た。

だが、のめり込むほどのことは無かった。

推しが出しているCDをある程度集めたら満足したり、ライブを遠目で観ているだけで良かった。

一番はまったのは、某スポーツ選手だったが、それも国内の試合に時々観戦に行き、あとはテレビの前で応援するだけで楽しかった。

 

私は推しに対していつでも傍観者だった。

それで良いと思っていた。

本人の視界に入る必要も感じない。

私の人生に推しは必要だが、推しの人生には一切私という存在を一秒たりとも登場させたくない。

傲慢かもしれないが、推しに少しでも影響を与えたくないと思っていた。

 

某スポーツ選手のファンアート、というか単なる似顔絵だが、そういうものを沢山描いた。

それでも当人に直接応援しています!とか、そういう言葉と共にイラストを送ったことは一度もなかった。

私と、ファン仲間でたまに見せ合うだけで消費された。

 

今にして思うと、それは失礼なことだった気がする。

推しは実在し、毎日生きている人間だ。

私はそれをコンテンツのように思っていた。

一方的に眺めているだけの存在で、それがお互いにとって良いと思っていた。

 

だが、微力でも、推しを思って丁寧に描いたイラストは、もしかしたら推しにもプラスの作用をもたらしたかもしれない。

 

私は自分の声の届かなさを過信している気がする。

どうせ何をしたところで、と。

だが、マイナスな声はきっと積もりつもれば確実に状況を悪くさせるだろう。

その逆が起きないとどうして思ってしまうのか。

 

応援を舐めてはいけない。

そう最近は思う。

 

さて、好きになった推しの話だ。

しばらく実在する特定の推しがいなかったが、彗星のごとく現れ私の毎日を輝かしいものにしてくれた。

 

定期的に何かしらの発信をしてくれるので、それを日常的に見るだけで、パッと華やいだ気持ちになる。

掲載される雑誌の発売日は、朝からルンルン気分だ。

 

そして出演舞台のチケットが販売されてると知り、取った。

 

当日が近くなるほど、楽しみで叫びだしそうになった。

でも、ふと不安にもなった。

推しは、実在の人間だ。

今は、ただ元気な活動の様子を見ることだけで満足している。

だが、かなり近い距離(前の方の席が取れた)で、その輝きを浴びた場合私は正気でいられるのか?

 

言ってしまえば、迷惑をかけるような応援の仕方をするファンになってしまうのではないかと思った。

 

だが、楽しみの方が大分勝っていたので、結局浮かれた気持ちのまま当日を迎えた。

 

開演。

推しは早々に現れた。

当たり前だが、いつも写真で見る姿だった。

とにかく美しい。

照明効果だけでなく、少し全体的に光っているように見えた。

 

上演中は、推しを中心に見つめつつも、作品自体を鑑賞することに集中していた。

面白い作品だった。

プロの生の舞台を見たのはほとんど初めてだった。

目の前で、役者さんたちが出す声の震えまで客席に伝わる。

 

テレビ画面を取っ払ったドラマのような、そんな気がした。画面一枚隔てないぶん、そこには人間模様がより生々しくそのまま現れる。

ここでは何も隠せない。

ごまかせるものが何もない。

 

なんて怖い場所だ!と思った。

推しはそこまで達者な演技というわけではなかった。

それでも、なんだかとても良かった。

この、何も隠せない場所で、なんだかとても良かったのだ。

 

終演。

カーテンコール後、キャストが客席の通路を通る演出があった。

私はトイレが心配で、通路側の席を取っていた。

キャストが通っていく。

推しが通っていく。

 

あまりに目の前を通った。

そんなことある!?と信じられず、記憶は曖昧だが確かに通った。

 

やや放心したまま帰路についた。

 

強烈だった。

上演中の美しい姿。

熱演。

優しい声。

激しい声。

綺麗な動作。

めまぐるしく変わる表情。

 

作品をしっかり鑑賞したつもりだったが、頭に残っていたのは推しの姿ばかりだった。

 

この人のことをこれからも沢山観たい。

できれば近くで。

舞台があるならできるだけ沢山観たい。

演技はどんどん成長するだろう。

その様子をつぶさに見たい。

 

目の前を通り過ぎた時、推しは一瞬ではあったが、確かに至近距離に居た。

その事を思い出すと、途方もなく淋しい気持ちになった。

一番近くにいたはずの瞬間が、一番推しを遠く感じた。

私とこの人の人生が一点も交わることは無いというのが、はっきりとわかった瞬間だったからだ。

私はあくまで、客席で拍手を送ることしかできない存在。

 

そう思った時、私はもともとそれを望んでいたのではなかったのか?と我に返った。

推しの人生に、一秒も登場しない、背景とか木とか壁とかそんな存在がいい。

それが私だったでしょう?

 

自分の中の欲望の芽のようなものを感じた。

 

翌日はなんだか疲れてしまい寝入って過ごしたが、気を抜けば推しの姿が浮かんだ。

数日経ったが、やはり気を抜けば浮かぶ。

その度ニヤリと頬が動いているのが自分でわかる。

 

推しを思うと笑顔になる。それは舞台に行く前からだった。

 

ただ、明確に熱が違う。

推しへの「好き」に、何か不穏な感情が混ざっているような感覚がある。

 

どんどん人気が出てほしいと先日までは思っていた。

売れて、自分の夢を叶えてほしい。

かつ健康に暮らしてほしい。

本人が望んでいるうちは、色々な場所で色々な姿を見せて、それを応援させてほしい。

そういう気持ちだった。

 

正直なところ、恐らく、生の本人の破壊力に私の理性のネジが一部派手に壊れた。

拍手を送るだけの自分では、嫌かもしれない。

永遠に交わらない場所に居るのは、つまらないかもしれない。

 

これはやばくないか?

 

私には何かを好きになるときの信条として、

「絶対に不幸な方向に走らない」がある。

 

例えば、

一時はまっていたソシャゲは、家計を圧迫させるような課金は決しないこと、など。

私はそれを愛したことを絶対に後悔したくないのだ。

いつでも、好きになる対象は素晴らしいものであった。

その素晴らしいものを受けて、私が不幸になるなんてことは、起きてはいけない。

 

愛していた時間・お金、無駄だったと思う瞬間がきてしまうことが一番悲しい。

だってあんなに輝いていたんだから。

その時の私を生かしたオアシスであったことに違いないのだから。

 

だから、今一度冷静になりたい。

私は推しと出会えたことを心から嬉しく思っている。

ぜひ公私ともに幸多き人生を歩んで欲しい。

そして私自身も、推しと出会えたことでより楽しい人生を素直に送りたい。

 

なので、一旦立ち止まりたい。

 

でも、クールダウンさせようとしている間も、推しの新しい舞台のチケットは発売されるのだ。

 

迷う。

迷っている。

 

 

某スポーツ選手の似顔絵は、私の携帯フォルダと、引き出しの奥に眠ったまま。

本人の目に映ることはこの先無い。

 

今回の観劇にあたり、私は推しの似顔絵をポストカードに描いた。

いつも元気をありがとう、とか当たり障りの無い言葉を添えた。

手紙やプレゼントを受付けている場所に、ささっと置いた。

 

あなたを私は応援しています!!!

 

紙を通じてだが、直接伝えたことは、私にとってプラスの進歩だったと思う。

その素直な気持ちのまま、推しを応援し続けたい。

 

私は推しと幸せになりたい。

誰も不幸にならない形で。

 

サンタとトイレについて話そう

 

雑談が苦手だ。

家族や友人なら楽しいが、そうでない相手と話すのが難しい。

話すことに苦手意識があるため緊張してしまい、まざれないことが多い。

 

かといって、どうしても輪に入りたい!と思う話題が繰り広げられていることは少ない。

なので、実際そこまで困っているわけではないのだが、では雑談をするとしたら何を話したいか?ということを考えていた。

 

サンタをいつまで信じていたか。

 

これだ。

 

最初はこの質問、「推しに何か質問できるなら何を聞くか」を考えていた際に思いついたものだった。

推しに限らず、周囲の人間にぜひ尋ねてみたいと思った。

だが、その人が育った家庭事情によっては、聞かれたくない質問である可能性もある。

クリスマスについてどう思っているかなど探りを入れてから聞いた方が良いだろう。

探りを入れ、サンタの話題も大丈夫そうな人に聞いてみたい。

しかし、そんな探りを入れて判断するなどという高等技術を私は持たないので、これを雑談の話題として持ち出すことはこの先も無い。

 

ちなみに私の家にはサンタさんは五年生まで来ていた。

猫がほしい!猫がほしい!とクリスマス前に散々言いまくったので聡明なサンタさんは私の意を汲んでくれる!と思っていた。

クリスマスの朝、猫のぬいぐるみが置いてあった。

「生きている猫」とまでちゃんと言わなければならなかったらしい。

 

次の年のクリスマスから、プレゼントをねだる相手をサンタさんから親に変更した。

プレゼント内容も現金となった。

大人の階段をのぼってしまった瞬間だった。

 

余談だが、サンタさんの来るクリスマスと、サンタさんの来なくなったクリスマスでは楽しさが2000倍くらい違うが、その辺りを皆どう折り合いつけているのだろうか。

サンタが来なくても、アルコールや恋人の力などを借りて、サンタが来るクリスマスに匹敵する楽しさを会得してるのだろうか。

 

プレゼントなんてどうでもいいのだ。

サンタという謎の見知らぬおじさんが、なぜか私の欲しいものを把握し、家を間違えることなくちゃんとプレゼントを置いていくこと。

しかも家の外にでなく、鍵がかかってるはずの家の中に置いていく!

こんな不思議なことが、クリスマスの夜だけ毎年起きる。

たった一晩だけ、私の現実と物語の世界がつながる。

その浪漫たるや。

 

今でもクリスマスは好きだ。

当日が仕事でまるまる潰れても、一緒に過ごす相手がいなくても、ご馳走を食べなくても、クリスマスは良い。

 

でもあの頃のクリスマスはもう二度と私にはやってこない。

そう思うと、いっそ二十歳ギリギリまで信じていたかったと思う。

 

さて、雑談について。

 

サンタ以外の話題として、

「理想のトイレはなんですか?」

これを聞いてみたい。

 

理想でなくてもいいが、トイレの設備について思うところを聞いてみたい。

生きていれば、ほとんどの人が必ず利用する場所だ。

人は誰しもトイレについて何かしらの考えがあると思う。

私は胃腸が弱いので、人よりトイレの場数は踏んできた方だと思う。だから余計に気になるのかもしれない。

 

友人の結婚式へ向かう際、他の友人たちとトイレについてひたすら話していたことがあった。

こんなおめでたい日にトイレって、とも言ったが、それでも一つ話すとあれこれ思いつくのがトイレの話題なのだ。

 

私は近年主流の、自動で水が流れるトイレが苦手だ。

自分のタイミングがあるから…!!!

と毎回思う。

衛生面を考えての機能だと思うが、そのわりに、追加で流したいときはボタンを押さないと流れなかったりする。

私はあのボタンこそ汚いと思っている。

一番好きなのは、手をかざすと流れるタイプのトイレだ。

 

あと、荷物を置く場所。

フックが扉でなくサイドの壁についている方がなんとなく好きだ。

ショルダーバッグをかける際、扉のフックにかけると何かの拍子でバッグが揺れて鍵にぶつかって開くのでは…という要らぬ心配をしてしまうのもある。

フックだけでなく、荷物を置ける場所があるトイレは加点対象だ。

フックもなく荷物を置く場所もなく、やたら狭いトイレがたまにあるが、あれは一体どういうつもりなのだろう。

 

まだまだ語れる。 

私一人だけでもかなりある。

人と話せばどんどんエピソードが出るだろう。

 

雑談として盛り上がるかはわからないが、共感や発見がある話題だと思う。

 

 

明日からも雑談には上手くまざれないだろう。

しかし、この2つのトピックは懐にしのばせ、ここぞというときに出してみようと思う。

話題については今後も考えていきたい。

懐にしのばせるトピックが増えれば、雑談への不安も減るような気がする。

 

 

でんぶって響きだけで面白いのずるい

 

※以下ビロウな話

 

高校生の頃、臀部まわりに違和感があった。

率直に言って、痔の疑いがあった。

排泄後、「うーん?」と首を傾げる程度の痛みがしばらく続いた。

しかし、病院に行くのは抵抗があった。

まず、当時保険証は母が管理していた。

病院に行くには一度母に申告せねばならない。

「痔の疑いが隠せなくなりましたので、病院に行きます。保険証をください。」

言いたくない。

絶対に言いたくない。

 

結局病院には行かなかった。

小康状態というのか、気にならないコンディションと現状維持の痛みが数日ずつ交互に繰り返された。

悪化していないなら良いだろう、と判断した。

 

しかしある時あきらかに悪化と感じる痛みが臀部を襲った。

その痛みは数日続いた。

とうとう化学に頼らねばならないだろうか。

内心冷や汗をかきながら、平静を装い生活を続けた。

無邪気に楽しそうにしているクラスメイトがうらめしかった。

こっちはただでさえクラス内ヒエラルキー底辺なのに、ケツに爆弾を抱えている。

前世で悪行を働いたとしか思えない。

 

今文字を打って気付いたが、「穴」が「ケツ」とも読めるのは…

 

 

痛みに疲弊し、心身ともに元気を失った私は、友人たちと廊下を歩きながら、

「痔かもしれないんだ。」

と告げた。無意識に近い告白だった。

「そうなんだ。どうしてそう思ったの?」

友人たちは真面目に受け止めてくれた。

「ナニを出したあとの臀部が痛い。」

「うーん、でもそれくらいは誰でもあるよ。」

「痔とは限らないんじゃないかな。」

あれこれ話しているうちに、少し気分が晴れた。

「痔ってどんな風に診察するんだろうね。やっぱ恥ずかしい感じなのかな。」

友人が疑問を口にした。

私は早くからその点については気になり、医学番組などをリサーチしていたので、診察については既に知っていた。

「テレビで観たんだけど、かなり配慮されるみたいだよ。恥ずかしくないようにちゃんと隠してくれるんだって。」

「顔を!?」

「ケツを!!」

 

 

この一連の痔騒動を最近思い出した。

なぜ思い出したかというと、再び痔の疑いがあるからだ。

結局病院には一度も行っていない。

 

隠されるのは、顔でなくケツなのか。

確かめるという建前で、行くのもありかもしれない。

行きたくない。

 

 

私達のロックスター・チャットモンチーが永遠になった日

 

チャットモンチーについて何か書こうとすると胸がいっぱいになる。

それは今だけじゃなく昔からだった。

曲を聴いて素晴らしいと思い、感想を少し書いてみても、全然感情を表せていると思えなかった。

言葉にしきれない。

言葉にしたくない。

そういうバンドだった。

 

私の胸の中だけで、チャットモンチーに対する色んな思いはしまっておこう。真空パックしよう。

そんな風に思っていた。

でも、きっと私は忘れるので、やはり書いておこうと思った。

チャットモンチーを忘れるのではなく、今の私の気持ちを忘れてしまうので、上手く書けなくても書いておきたい。

 

2018年7月4日。

チャットモンチーのラストワンマン、武道館に行った。

同行したのは十数年来の友達。

チケットは、応募できるものほとんどに応募し、やっと取れた注釈付だった。

どうしても行きたかった。

 

開場し、開演まで待つ。

注釈付といっても、ステージに比較的近い席だった。

あと数十分待てばここにチャットモンチーが立つということがなんだか信じられなかった。

 

私が初めてプロのバンドのライブを見たのは、高校生の時だ。

友達に誘われ行ったスピッツのライブだった。

そのオープニングアクトチャットモンチーだった。

たった三人で、こんなに大きな音が出るんだ。

音楽に詳しくなかった私が抱いたのはそんな感想だった気がする。

 

それから気になるようになって、アルバムを聴いて、気付けばファンになっていた。

 

そのライブに誘ってくれたのが、同行の友達だ。

今回は私が誘った。

 

場内が暗くなると、歓声があがった。

チャットモンチーの二人はゆっくりと奈落からせりあがってきた。

左右の通路をぐるりと通って、近くの席に向かって手をふって歩いた。

私達の座る席の近くも通ったので、思わず手を振った。

二人は、とても堂々としていた。凛としていた。貫禄というか、ここの主役は我々であるという自信に溢れているように見えた。

それは、高校生の時見たチャットモンチーには無かった雰囲気で、沢山の時間が流れたのだなあと思い、胸がいっぱいになった。(まだ演奏も始まってないのに)

 

二人が定位置につく。

ブレスの音から、歌が始まった。

一曲めは、たったさっきから3000年までの話。

 

今、えっちゃんが目の前で、あそこで歌っている。歌っている声がする。

えっちゃんの歌声が、会場に染み渡るようだった。波のように、波紋のように、声がこの広い会場を包んだのを感じた。

たったワンフレーズで、涙が出た。

 

私が大好きなチャットモンチーだと思った。

 

それからどんどん演奏は進んだ。

あっ…

おっ……

あっ…

みたいなことを言っている間に、前半が終わってしまった。

 

幕間を挟んで、後半。

こちらも、

えっ…

あっ…

おおっ…

あー…

とか言っている間にあっという間に終わっていってしまった。

アホみたいな感想だが、本当にそんな感じだった。

 

演奏と演奏の間で、二人が話すMCが、あまりにも自然体で、武道館中の人間たちが二人の友達みたいな空気になり、和やかに笑っていた。

暖かかった。

とても優しい空間だった。

 

最後の曲の前に、観客が口々に「ありがとう!」と叫んだ。

私はライブでもめったに声を出さない(出せない)人間だが、今日ばかりは言わないといけないと思って「ありがとう」と叫んだ。

 

チャットモンチーに生かされた瞬間が私の人生には無数にあった。

 

学校に馴染めず、やっとの思いで起床する朝に再生した「女子たちに明日はない」

 

淡い恋のようなものに訳がわからなくなり、うろたえながら再生した「恋の煙」

 

就職のため遠い地へ引っ越すことになり、夜行バスの中で再生した「満月に吠えろ」

 

忙殺され、音楽もあまり聴かなくなっていた頃にたまたま手にした「こころとあたま」

 

夜中の街を呆然と歩きながら再生した「隣の女」

 

挙げられないが、もっとある。

 

チャットモンチーの音楽を聴く瞬間の自分のことを一言で表すとしたら、

うわー!まだ余白あったんだー!

かもしれない。

 

この世の全部をわかった気になって、もうどうにもならねえ、あとはただダラダラ生きるだけかと厭世を決め込んだ私に、稲妻のような光の音楽が鳴る。

 

この世界にはまだ、こんな余白がある。

その余白で私はいくらでも生きていける。

何にでもなれる。

何だってできる。

 

だってチャットモンチーの音楽が、こんなに鳴っている。

 

えっちゃんのギターの音が好きだ。

鳴らした瞬間にえっちゃんのギターとわかる音。

あっこちゃんのベースとドラムと…とにかく鳴らす音全部が好きだ。

勇ましく迷いがなくて、真っ直ぐな音。

そして久美子さんのドラムが好きだった。(今も好きだけど)

叩く一つ一つが気持ち良く響いて、それでいて優しい音。

 

ニューアルバム「誕生」

この中では、「砂鉄」が一番好きだ。

久美子さんの餞の歌詞が本当に素晴らしい。

 

君は君の真似なんてしなくても

最初で最後の君だ

僕は僕の真似なんてしなくても

最初で最後の僕だ

 

初めて聴いた瞬間に、物凄い言葉が書いてあると思った。

心からのアイラブユーだと思う。

きっと今でなければ書かれなかった言葉。

それが、今でなければ作られなかったメロディーと、今でなければされなかった演奏にのって歌われる。

何回も何回も聴いてしまう。

そして、口ずさみながら、自分に向けても言ってみる。

私は私の真似なんてしなくても、最初で最後の私だ。

 

 

チャットモンチーのファンになった、最初の自分の心理状態について最近考えていた。

多分、生まれて初めて「私達に向けて歌われた音楽だ」という感覚を持ったのがチャットモンチーだったのではないかと思う。

 

好きな音楽は色々あったし、今も色々ある。

その「好き」は様々な種類がある。

対岸で鳴っている華やかな音楽を好きだとも思う。

遠い場所で鳴る厳かな音楽も好きだ。

 

でも、チャットモンチーの音楽に対する「好き」は、どの音楽よりも切実な気がする。

自分の一部となり、血肉となっている気がする。

チャットモンチーの音楽について語ることは、気合いが要る。

チャットモンチーを好きだと人に言うのすら、少し覚悟めいた勢いが要る。

私の体の一部を見せるのと同じだから。

 

チャットモンチーのことが好きです。

私を生かした音楽のうちの一つだからです。

私の人生に根付いた音楽の一つだからです。

聴いていると泣きそうになるのに、めちゃくちゃ元気になる不思議な音楽です。

デビューから最新アルバムまで、沢山の変身を遂げています。

それなのに、ずっと全部チャットモンチーの音楽なのが、とても凄いと思います。

変化を恐れずに進み続ける姿は、あまりにもロックンロールでした。

最後のアルバムに「誕生」と名付けたと発表された時、私は心からチャットモンチーのファンで居続けて良かったと思いました。

完結を発表してから、雑誌に載る晴れやかな笑顔の写真。前向きな言葉。

やりつくしたと思えるまで、走り続けたこと。

すべてにありがとうと言いたいです。

これからもずっと聴きます。

 

チャットモンチーは永遠です。

 

 

生きているのが楽しすぎる。

ここ数日の話だ。

アドレナリンか何かが出ているのか、だいたいの時間興奮状態で、寝つくまで異様に時間がかかる。

過去にストレスで寝付けなくなったが、その寝つきの悪さとは全然違う。

 

 

なんで数日でこんなことになったのか。

一番大きな要因は、新たな「推し」ができたので、その情報や活動を追っていて楽しいのがある。

でもそれだけではなく、少しずつ色々なことが重なったからだと思う。

 

私は、十数年前に日テレ系列で放送されていた「すいか」というドラマが大好きだったのだが、その中にこんな台詞があった。

「明日からも生きていたくなるような、何かにはまっていればいいのに」

これはモノローグの語り手・ゆかちゃんからゆかちゃんの母に向けての台詞だった。

ここ数日の自分のテンションの高さに、この台詞が頭をよぎった。

 

私は明日からも生きていたくなるような、何かにはまったみたいだ。

 

星のようだ、と思う。

自分の心の宇宙の中で、爆発やら飛び交う石やらがたまたまぶつかったりして、輝く星が誕生した。

それはとても強く発光している。

 

毎日上手くいかないことばかりで、もうとっくに色々な気持ちが冷めていた。

それでも時折こんな星が私の心の中に生まれて光る。

私はもう少しだけ明日からの自分を信じられるような気持ちになる。

 

星は有限なので、燃え尽きる。

私の心の宇宙の話だから、期限は驚くほど早い時がほとんどだ。

星より宇宙の闇が深くなっても、星は維持できず果ててしまう。

その度にもう二度と星なんて生まれないかもしれないと思う。

 

それでも、また星は生まれて発光した。

 

希望の星だ。

 

 

こないだ見た夢の話

 

古く大きな日本家屋で私は父母と暮らしている。

そこに犬が迷いこんできた。

退屈な日常に突然可愛らしい存在の登場、私たちは喜んで迎え入れた。

 

犬は可愛かった。可愛いだけでなく、強かった。

私は犬を好ましく思い、普段はめったに写真を撮らないのに、思わずスマホで撮った。

 

数日して家に、侵入者があった。

侵入者はあきらかに強盗で、私たちに危害を加える様相だった。

狼狽する我々を横目に、犬はすぐさま侵入者に噛みついた。

犬は強かった。

侵入者は抵抗する間もなく、犬に噛み殺された。

 

侵入者の遺体を前に私たちは、

「まあ、この人は強盗だし、殺したのは犬だから、私たちはほとんど無関係じゃない?」

というような話をした。

 

数時間後どこから通報があったのか、警察が家をたずねてきた。

当然、部屋に転がったままの侵入者の遺体を発見され、何なのか問われる。

私は、この人が強盗であること、犬が噛み殺したことを伝えた。

 

「犬なんていないじゃないですか!」

警察は言った。

 

気づけば犬はこの家からいなくなっていた。

可愛がっていたはずが、気付かないなんて。

自分の鈍感さに驚くが、今はそれどころじゃない。

 

侵入者が強盗であるというのは、あくまで私たちの一方的な証言に過ぎない。

それを証明できるものはない。

このままだと、私たちは家族で人を殺した犯罪者になってしまう。

 

「そうだ、これを見てください。犬は本当にいたんです。」

私はスマホで撮った犬の写真を警察に見せようとした。

だが、どこのフォルダを開いてもその写真がない。

 

警察は「決まりだな」みたいな空気を出してくる。

何も決まってはいない。

 

結局私たちは警察署に連れていかれることになった。

庭は春先で、ちょうど花々が咲き乱れる季節だ。天気も良い。

その美しい春の庭の通路を、警察官に連れられて歩く。

 

私は刑務所で理容師の免許を取る勉強をして、出所したらそれで生計を立てていこうとぼんやり思っていた。

 

___________

久しぶりにインパクトのある夢だった。

目が覚めてからすぐに夢占いを検索しようとした。が、これ何の夢だ!?と手が止まった。

逮捕の夢?

日本家屋の夢?

犬の夢?

理容師の夢?

 

結局そのまま二度寝してうやむやになった。

友人にこの夢の話をしたら、

「夢の中の警察の捜査、ガバガバ過ぎない?」

と、もっともなことを言われた。